2010/05/29

反省

その昔、ある女性経営者の方が教えて下さったエピソード。



その女性経営者の方がある方と懇親会か何かでお話ししているときに

その人が少し考えてから質問してきました。

「もしあなたの会社の社員の人が給湯室でコップを落として割ってしまったらあなたはその社員の人になんと声を掛けますか?」



彼女は「大丈夫?けがはしなかった?と声を掛けます。」と答えました。



そんな時は「お家で何かあったんじゃない?大丈夫?」と聞いてあげるようにアドバイスを受けたそうです。



その女性経営者の方はドキッとして自分の未熟さを恥じたそうです。





なるほど。と私も唸ったのを覚えています。

その時は、「深いなあ。」と感心していたのに・・・







今日、とっても反省する出来事がありました。



私がここ何年か大変お世話になっている大先輩の女性がいます。

大大大尊敬している方です。

現在60代前半ですが、最近ちょっと意見に固執することが多かったり、意固地なところが少し気になっていました。

今日もある資料の仕上げの段階であと印刷に掛けるだけというところで、

「この原稿、やっぱりこれではだめ」と言い出して、周りがなんと説明しても「そんな問題ではない」

と、話し合いすら拒絶するムード・・・。



前の彼女だったら、相手の意見も良く聞いて冷静に判断してお互いに納得できるゴールを導き出す人だったのに

また、こんなことで流れを止めて・・・



とちょっと私もうんざりしてしまいました。

まあ、彼女の意見を取り入れて原稿執筆者の方にも連絡がとれてなんとかうまくまとまりましたが・・・



そんなことがあったので午前中におわる作業が午後にもずれこんだりして。

やっと作業が終わったので、遅めのランチをみんなでとって解散しました。

帰り道途中まで彼女と世間話などしながら歩いていると別れ際に

「実はね、宿毛の義理の弟が体調が悪くて高知市の病院に来てるの。

それがね、すごく悪くて、いつどうなっても不思議じゃない状態がこのところ続いててね。

だから、今主人と一緒に毎日病院に詰めててね。ホスピスの病院にいるの」



彼女の義理の弟とは、ご主人の弟さんのことです。



彼女とご主人は学生結婚でした。彼らが結婚した時、精神的に不安定だった義弟さんを、県外の自分達が借りている住まいに引き取り、

一生懸命励まし叱りしながら、大学に行かせたという、ただの義理の兄弟以上の存在、親子にも近いような存在でした。



弟は大学卒業後、就職し、結婚し、ことあるごとに「今のおれがいるのは義姉さんのおかげ」といってくれていたそうです。



そんな話を前に聞いていた私は衝撃を受けました。



彼女のことだからきっと毎日病院で涙をこらえて看病を親身に続けているに違いない。

自分の食事も後回しに義弟の一家の世話をしているに違いない。





「癌なんですか?おとうとさんって、あのおとうとさんですよね。」





「そうなの。病院でもね、毎日あの頃の思い出話を涙涙でしてしまうのよ。」





「そうだったんですか」



「うん、誰にもまだ言ってないけど、私もそういうわけでちょっと先の予定が読めんからtiotioさんには伝えとくね。」





彼女と別れた後、すごく落ち込みました。



彼女の意固地なところは、年のせいかも。なんて思い込んでいた自分が恥ずかしくてたまりませんでした。



きっと、私のそういう思いが彼女に伝わってたのでしょう。

だから、彼女は私にそんな弟さんの状況を教えてくれたのでしょう。





落ち込んでばかりもいられませんが・・・落ち込みました。



2010/05/15

生きるために必要なこと

カナダのケベック州は、シルク・ド・ソレイユやモントリオール映画祭でご存知のように、芸術に力を入れていることで有名なようです。



そのケベック州の優れた映画を一挙に上映するイベントがあり、

今日、行ってきました。

目当ては「生きるために必要なこと」

50年位前のカナダが舞台です。





2008年のアメリカのアカデミー賞外国語映画賞ノミネート作品です。

(ご存知の通り、この年は「おくりびと」が受賞しました。)









イヌイットのチビルは、狩りをしながらバフィン島で妻と幼い娘二人と暮らしています。



ある日、大きな船がカナダ本島からやってきます。

当時結核が流行っており、その船は、検診船とでもいうのでしょうか、

結核に罹患してないかどうかを調べる船なのです。



島の住人全員がその船で検査を受けることになり、チビル一家も出掛けていきました。

船の中では白人達が手際良くイヌイット達に検査の順路を指示しています。



検査が一通り終わったところで、チビルはこう告げられます。

「あなたは結核に罹っています。あなたを船から出すことはできません。家族の方は帰ってもいいです。」



が〜ん。



「僕がいないと狩りをする者がいなくなるから僕は家族と離れる訳にはいかない」

訴えますが、家族は引き離されます。



三ヶ月かけてチビルはケベックの療養所に到着します。



着ていた防寒着は捨てられ、パジャマに着替えることになります。

ぼさぼさだった髪も七三みたいなサラリーマンカットに。

食事は見たことも無いスパゲティとかがでてきます。食べ方も分かりません。



一番のとまどいは、言葉が全く通じないことでした。



彼はイヌイットの言葉しか話せませんが、そこには彼の言葉を理解できる人は一人もいませんでした。



どんなに彼が困っていても、医者も看護婦も患者仲間も、みんな全く理解できないフランス語でまくしたてます。



孤独に我慢できず、彼は逃げ出しますが発見され連れ戻されます。



辛くて辛くて生きるのが嫌になった彼は、食事を摂らなくなってしまいます。



とうとう倒れてしまった彼が目を覚ますと、同じイヌイットの少年が立っていました。



その少年はカキといい、両親を失い、祖母に育てられたが罹患していることがわかり、

二年前に別の療養所に連れてこられたということでした。



チビルの担当の看護婦さんがカキをチビルと同じ療養所に転院させてくれたのでした。



カキは既にある程度のフランス語も話せて、チビルの話し相手だけではなく、通訳としてもチビルを助けてくれました。



両親がいないカキにとってはチビルの狩りの話しは興味深く、また息子のいないチビルにとってもそんなカキが心の支えになりました。



月日は流れ、チビルはとうとう退院の許可が出ます。

「一ヶ月後には島に帰る船に乗れるよ」と主治医から伝えられ、チビルは早速カキのところへやってきます。



「カキ、一緒に退院しよう。君さえ良ければ、僕の子どもにならないか?」

「狩りを教えてくれる?」

「もちろんだ」

「そこはどんなとこ?」

「ここみたいに木が邪魔をしないから、ずーっと遠くまでなんでも見えるんだよ。アザラシだってカリブーだって生きために必要なことは全て揃っている」



カキはチビルの申し出を受け入れました。



チビルは看護婦さんにもそのことを伝えますが

「養子縁組はそう簡単ではないのよ」

「君たち白人はすぐにダメっていう!」

とフランス語とイヌイット語で言い合いになってしまいます。



この看護婦さん、今度はイヌイット出身の牧師を探し出してきてくれます。

その牧師さんの尽力でなんと、カキはチビルの養子になる許可がでます!



けれども実は、カキの病状はかなり悪化していたのです。

この素敵な養子縁組の決定の数日後にカキは容体が急変して、亡くなってしまいます。



カキの葬儀を済ませたあと、チビルは島へ帰る船に乗り、また家族の元に帰っていくのです。









カルチャーギャップをテーマにした映画です。



チビルが妻に「ここは食べ物は沢山あるが、食欲はない。人は沢山いるけれど、話し相手はいない。」

と手紙に書きます。



なんという孤独感でしょう。



カキが来てからは、チビルはみるみる元気になっていきます。

言葉が通じるって大切。



知人でインドネシア語を習っている人がいます。

(ちなみに彼は英語は英検一級の腕前です。すばらしい。)

インドネシア語を習う理由を尋ねた事があります。

「インドネシアから日本にやってきて、インドネシア語の話せる人に合えたらうれしいでしょ、きっと。」

という回答でした。



その心がすばらしい。



2010/05/07

岡田以蔵の墓


私の墓めぐり

今回は岡田以蔵の墓です。



先日訪れた、板垣退助の墓から車で5分程度のところにありました。

大通りから少し入った所にあります。

お墓が沢山ある小山の中にありました。

最初、山への入口がよくわからなくて、うろうろした後あきらめて出直すことにしました。

そしてUターンして数メートル歩いていたら、立て札を見つけました。



おお!探していた物がこんなところに。

このピンクのリボンが目印です。

この後、道しるべとなってくれます。



 


とまあ、こんなかんじで分かれ道で以蔵の墓へと導いてくれます。


お陰さまで辿り着けました。



誰かがきちんと枯れ葉や塵を掃除しているようです。

花も沢山供えられていました。

この辺りは史跡が多いようで地元の研究会の人達が整備しているようです。



















現在、大河ドラマ「龍馬伝」で佐藤健くんが好演してますね。

正直、期待以上の人間味あふれる演技に脱帽してます。

彼のお陰で「人斬り以蔵」と呼ばれた岡田以蔵のイメージが少し変わったという人も多いのではないでしょうか。

私も、龍馬伝を見るまでは、岡田以蔵の墓をたずねてみようなんて思いもしなかったでしょう。




実は、この近くへはよく来ます。

こんなところに岡田以蔵が眠っていたなんて本当に意外でした。

そんなことを考えながら山を下りました。





この山はですね、どこにあるかというとですね、


実は、


実は、


実は、







↑沢田マンション裏側



沢田マンションの真裏にあるんです。



わはははは〜





2010/05/06

New York


行きたい国を順番に挙げたとして



アメリカは多分10位以内に入ったことはありません。



行きたくないわけではありませんし、全然興味が無い訳でもないのですが、なぜか。



けれどもここ数ヶ月、New York になんだか憧れている私。



Empire State of Mind のせい。



昨年ラジオでよく流れていたでしょ、



もう、何ヶ月も頭の中でぐるぐる回る Alicia Keys の、あの New Yooorrrk! っていう



高らかな歌声にずっとしびれつづけています。


















New York! Concrete jungle where dreams are made of,

There's nothing you can’t do,

Now you're in New York!

These streets will make you feel brand new,

Big lights will inspire you,

Let's hear it for New York, New York, New York



は〜



なんてかっこいいんだろう。



では、Part2 もどうぞ。


















は〜



2010/05/02

板垣退助の墓


 高知市薊野(あぞうの)



高速道路の高知インター近くを通る人はみんな

この看板が気になる筈です。



















板垣退助といえば、超有名人ですから。



坂本龍馬は教科書に名前くらいしか出てきませんが

板垣退助は自由民権運動のくだりで、かならず「板垣死すとも自由は死せず」という名文句と共に学校で習います。

私は小学校のときからこの人を知ってました。



坂本龍馬は、ところで何をやった人?って思ってる人も少なくないと思いますが

板垣退助は自由民権運動の人。と明瞭に答えることができるのではないでしょうか。



そんな有名人のお墓の案内板が高知の玄関、高知インターの近くにあれば、誰でも「おや?」と興味を引くのではないでしょうか。



少なくとも私はここ何年も気になっていました。



行ってみました。























板垣退助の家系は、山内家が土佐藩に入城して以来、代々家老の家柄だそうです。(乾家)

家紋入りのお墓がぐるりと周囲にありました。




板垣退助の銅像が高知城にありますが、はじめ、なんで彼の銅像が高知城にあるのか不思議でした。

山内家と縁が深いからだったのですね。



両国にある国技館の命名は彼によるものだそうです。

相撲を国技と思い込んでいる人がどっさりいるのは彼のせいかも。



征韓論に破れ下野した当時の実力者として板垣退助、西郷隆盛、江藤新平らがいます。



それぞれ、下野した後に重い人生が待っています。



板垣退助は「自由民権運動」に身を投じることになります。

私はそんな彼をすごいなとつくづく思います。



たしか、岡田以蔵のお墓もこの近くと聞いたことがあります。



そちらもなんだか気になっている今日この頃。。。