2013/10/09

アトリエ四万十


先日、ちょっとしたバイトで一緒だった方が窪川(もちろん高知県の)の方でした。
その方に教えていただき、きけば聞くほど気になったので行ってみた「洋食の仕出し屋」さんです。

仕出し屋さんといっても、お店に休憩所?というか、イートインできるスペースがあるので、その場で食べるのもOKです。

アトリエ四万十

話を聞いて気になった理由は、そのお店の説明として出てくるキーワードが
「フランス料理メインなのに建物は古民家」
「土間」
「作ってる人が一人でやってるのでお客さんが来ると急がしそう」
「そしてその人が恥ずかしがりらしい」
「アイスクリームは美味しいくて安いから食べるべし」
「仕出し料理はラップをかけてるだけの素っ気ないディスプレイやけど味は確か」
「アイスクリーム以外は安くはない」
「シェフは本場フランスで修行してたらしい」

高知市からはるばる行きましたよ。



実はその1週間前に、窪川には味噌カツラーメンを食べに行ってたので2週連続の窪川です。「味噌カツラーメンは窪川の七子峠やろ」という噂を聞いて、味噌カツラーメンには食わず嫌いな私でも食べられるかもと出掛けた、その1週間後なのです。
(ちなみに七子峠の味噌カツラーメンは超美味しかったけれど私には量が多すぎ、完食ならず!無念!)



さて、アトリエ四万十さん。
場所はですね、「窪川のローソンの前らへん。」とのアドバイスだけを頼りに行きました。高知市から高速使って約1時間弱。
2013年秋現在、窪川にはローソンが1軒しかないので間違いないと思います。

ありました。リニューアルしてそう経ってないらしく、きいてたほどの怪しさはなく、普通にこじゃれた外観です。

キッシュロレーヌとマカロンに目がない私を待っていたのは、まさにキッシュとマカロン、あとアイスクリームとカヌレや、クロワッサンなどデニッシュ系のパンが数種。

ふう〜ん。しあわせ。

アイスはその日のおすすめとのことで、バジルのアイスを食べました。こんなの初めて〜なさっぱりしたおいしさでしたよ。(最後なのでくり抜いたメロンを多めにいれてくれました)

マカロンもとっても美味しかったですが、小さめなのが残念!

キッシュは結構ボリュームあったので、ランチだとキッシュ一切れでも私はOKかも。

米粉で作ったカヌレは絶品でしたよ。

デニッシュ類をお土産に買って帰るのを忘れていたので、今度また行きたいです。

そして、もっとメニュー増やして欲しいです。色々食べたい。

アイスも情報によるとヨーグルト味もお薦めだそうなので、是非食べたーい!



2013/05/22

父の日・・・難しい


母の日は、母(義理の)に靴下風足袋っていうか
足袋風靴下を何足かプレゼントしました。

丁度先月末に大々的なハンドメイドの即売会??みたいなのがあって
そこで超カワイイのが売ってたので。


母の日もねー
結構悩みますよねー

でも男に比べれば女は物欲が強いのでより簡単っちゃ簡単かもね。


で、父の日っすよ。

先輩に
「男の人がもらって喜ぶものって何?」

と尋ねたところ
「ライターとか時計とか集めてる人は喜ぶんちゃう」

「何にも集めてない人は?」

「何にもいらんのちゃう」

「えええええ〜」

「大体父の日なんかいらんがって」

「それ賛成!」

ってでも父の日が来るんだよ〜





主人の両親と2世帯に住んでる嫁としては
めんどくせー日です。



2013/02/03

学校の雑巾

学期初めに学校から要求される・・・雑巾。

季節外れのネタですみません。

あれって、皆さんどのように手配しているのでしょうか。

私は、うちにある、古めのタオルをミシンでザックリ縫って作っています。

時間がなくって、買ったものを持たせたこともありましたが、基本、古タオルで作っています。

が、が、ですよ、衝撃の事実が。

それは今年の4月。

私が例年の如く古タオルで雑巾を作りました。

2種類の雑巾ができました。

一つは柄モノ、もう一つは白地。

その場にポチャオ君がいなかったので

とりあえずひとみちゃんに、「どっちがいい?」と聞きました。

「絶対白い方!」

「なんで?柄のやつがカワイイのに」

「だって、白い雑巾やったら買った雑巾みたいやもん。前に男子が掃除で使ってる雑巾見て、

  『おい、これ作った雑巾やぞ』

って、まるで作った雑巾は恥ずかしいみたいなこと言ってて、その雑巾あんまり使われてなかったもん。」

・・・え?

はあぁぁぁぁああああ???

昨今の親はどんな育て方してんねん!!!


・・・・という話を職場でしたら、同僚の女性は私の想像以上に驚いて

「えええ???雑巾ってそんなもんなんですか?
私、子どもの連絡帳に『雑巾にできるほど使い古したタオルが今は家にないので今回は雑巾は提出できません』って書いて出しましたよ。」

おおっと、うわて。

あなたは、どっち派?

難解な質問18

でました。

ポチャオ君14歳 ま〜さ〜に〜「ちゅうに」

今回はお姉ちゃんであるひとみちゃんへの質問です。


「ねえ、姉ちゃん、『である』って何?」


どうです?

この質問に何の迷いもなく答えられる人が果たしているのだろうか。



その場に私は居ませんでしたが、もしいたら

『です』の言い切り調よ。

な〜んて答えていたと思うんですよね。


ひとみちゃんは迷いつつもこのように答えました。


「え?え?え・・・っとね
『である』ってつまりbe動詞やから
isとかwasのあとにgoとか動詞の原形が来たらあかんのよ。
でね、」


ほほー、英語における質問かな?と考えた訳ですね。

ところが、

「違う! 国語 」


ひとみちゃん

「・・・えと、えと、お父さんに聞いて」


先輩

「あ、無理。僕そんなのすり抜けて大人になったから」


ひとみちゃん

「そうやなあ、『ある』っていう動詞が薄まったものやから補助動詞かな・・・」


私はもう無理です。


2012/10/31

大事度

最近ギターにハマっているカレ

ポチャオ君

毎日時間を忘れて練習に勤しんでいます。

今晩も心ゆくまで練習した後

アンプから抜いたイヤホンをクルクルときれいに巻いて結んで

コンセントも本体から抜いて同様にきれいに巻いて



どうせ明日も使うのにコンパクトにいちいち片付けてるなー


なんて思って眺めていると

使用後のギターを大事そうに拭き上げながら

「この前地震があったやん」

はい、私は知りませんが先週の土曜日未明に高知では突き上げるような地震があったそうです。

「僕それ以来、地震があってもさっと持ち運べるようにこうしてギターのセットはコンパクトに片付けるようにしてるんよ」


さらにギターを磨きながらこう続けました


「って、そんな時にギターなんか持ち出すかなあ・・・と思いながら」



・・・瞬時にパニック状態で避難所に集まった必死の人達の中に同じく必死の形相でギターを抱えるポチャオ君を想像してしまった。



ないない。


2012/06/23

サラの鍵

 
「サラの鍵」「ゲーテの恋」

2本立てで1500円(前売り1300円)


行くしかない。
行ってきました。

目当ては「サラの鍵」でした。


「ゲーテの恋」もかんなり良かった。

今回は、「サラの鍵」を紹介させていただきます。

















この映画の中では、フランスが行っていたユダヤ人に対する迫害が取りあげられています。


主人公であるジャーナリストのジュリア(クリスティン・スコット・トーマス)が「ヴェルディヴ」について口にすると、若いジャーナリストたちは「それ何?」と返します。


フランスでも若い世代の人達にはあまり知られていないようです。


ヴェルディヴとはパリにかつて存在した、大戦中にユダヤ人虐殺の舞台となった室内競技場で、ヴェルディヴに関する資料は今は殆ど残っていないのです。ヴェルディヴの建物自体も取り壊されて今は別の省庁の建造物がたっています。


若いジャーナリストは「ナチスは戦争中のことは詳細に記録して残してあるのにヴェルディヴに関する資料がないとはめずらしいですね」と問いかけます。


「ナチスが行った虐殺ではなく、フランスが行った事だから。」


1995年にシラク大統領はそのことを公のスピーチの中で認める発言をしたそうです。あまり知られていなかった事実なだけに、フランス国民の間でも衝撃が走ったそうです。



*ストーリー*


1942年7月。

10歳のサラは、幼い弟ミシェルと両親と共にパリのアパートで暮らしています。

ある日パリ警察が家族を検挙しにやってきます。サラはとっさに弟を逃そうと機転をきかせて壁の裏の隠し納戸に弟を隠れさせ鍵をかけて「出てはダメよ。すぐ帰るから。」と言い聞かせて両親と共に部屋を後にします。

サラは何とか鍵を誰かに託し、弟を納戸から助け出したいけれど、中々納戸の鍵を信頼できる人に預けられません。
















2009年。

ジュリアはニューヨーク出身パリ在住のジャーナリスト。

ヴェルディヴ事件について特集記事を担当することになったある日、優しい夫と12歳の愛娘と近く引っ越すアパートを見に行きます。

そのアパートは夫の祖父母が住んでいた歴史あるアパートです。夫の祖母のお見舞いに行ったとき、アパートを購入したのが1942年8月である事を知り、その地域が旧ユダヤ人街であったことから、ヴェルディヴ事件で検挙された家族の持ち物だったのではと気になりだします。



仕事の取材先から、アパートに住んでいた家族の内、サラとミシェルという兄弟は収容所で亡くなっていないことが分かり、まだ生きているかもと、サラとミシェルを捜し始めます。


ジュリアがアパートについて色々調べている事を知った義父はジュリアに今まで家族に隠していたサラとの出会いを明かします。


1942年7月。

サラ達が連れて行かれたのはヴェルディヴ室内競技場。そこに1万人以上のユダヤ人が閉じ込められます。


数日が経ち、衛生的にも精神的にも皆参ってきたころ、サラ達親子は大勢のユダヤ人達と共にトラックで別の収容所に移送され、そこで両親と離ればなれにされてしまいます。


それでもサラが自分の事以上に心配でならないのは、彼女がドアを開けるのをずっと待ってるに違いない弟ミシェルの事。



以下ネタバレご注意ください。


サラは仲良くなった女の子と一緒に脱走を図ります。偶然心ある大人達に救われて奇跡的にもアパートに辿り着きます。

既にアパートの部屋には新しい住人が住んでいました。一心不乱にベルを鳴らし、ドアを開けた少年を押しのけて納戸へ走ります。家具を除け、鍵を開け、隠し納戸の扉を開けたサラは、その光景に絶叫します。


このときサラが押しのけた少年が、ジュリアの義父なんですね。






この後、サラはどこに行ったのか。ジュリアは捜し続けます。


実はジュリアは待望の妊娠をしていました。そのことを夫に告げると、ジュリアの意に反して夫はよろこんではくれませんでした。


悩みに悩んで中絶するために行った病院にサラの関係者から電話がかかってきます。

すぐにでもサラの情報を得たいジュリアは結局手術は受けずに病院を飛び出します。


わずかな手がかりを元にアメリカへ行きますが、サラは既に交通事故で1966年に他界していたことが分かります。けれども彼女の一人息子ウィリアムがイタリアにいると知り会いに行きます。

50歳になるウィリアムは、ジュリアの口から飛び出すサラに関する話が初めて聞く事ばかりで全く信じられません。結局二度と合いたくないと機嫌を損ねてしまっただけでした。


2011年。

離婚し、アメリカで14歳と1歳の娘と暮らすジュリアの元に、ウィリアムが会いにやってきます。

アメリカで入院していたサラの夫、ウィリアムの父が亡くなる前に全てをウィリアムに明かしてサラの日記を託したのです。それらをこの年になって初めて目にしたウィリアムが、今度はサラの人生を共有するためにジュリアに会いにやってきたのでした。

ジュリアが1歳の娘をサラと名付けた事を知り、ウィリアムが涙のあふれるのを止められないラストシーンは、こっちももらい泣きしちゃいます。



2012/06/19

ドラえもん






今さらですか〜???














ポチャオ君が結構な勢いでリビングに入ってきて発表しました。


ポチャオ君

「お母さん、僕わかったで!

ドラえもんの名前のエモンって、五右衛門とか左衛門とかそんな名前があるやん!あれあれ!」



私・ひとみちゃん

「うん、で?」



ポチャオ君

「だから、ドラえもんのエモンってあのエモンのことながやで!(翻訳:あのエモンのことなんやで!)」





「え?今さら何言ってんの・・・」



ひとみちゃん

「今までしらんかった・・・とか?」





「私、そんなん、小学校のとき初めてドラえもん読んだときからそう思ってたで。」



ひとみちゃん

「私も」



ポチャオ君

「ウソや!ウソぉ・・・」


ポチャオ君、去る。



えーと

えーと


皆さん、そうですよね。




ポチャオ君、中2。実は生徒会副会長。