2008/04/21

土佐弁ミュージカル


この週末を締めくくる(私の)イベントは、

ミュージカル鑑賞でした。



  


















「土佐弁ミュージカル」です。

演じているのは全て高知在住の外国人の方からなる、

GENKI青年会というボランティア団体の方達です。



  




















私は今回で3回目の鑑賞でしたが、この団体は平成8年から毎年この時期に

この、「土佐弁ミュージカル」なるものを上演しています。























脚本から、衣装、振り付け、etc..を地元ボランティア数名の方を除き

ほとんど自分たちで(つまりガイジンが)やっています。

もちろん全て土佐弁です。





















高知市だけではなく、高知県下数カ所で何回かに分けてやってます。

会場で募金活動をしますが、鑑賞は無料です。

集められた募金は毎年高知県下の中高生の留学資金に充てられています。






















(選考の結果、今年も高校生の女の子が留学中だそうです。)

地域に根付いた文化交流が評価され、

2005年度の国際交流基金「地球市民賞」を受賞してます。すばらしい。



日本語もままならない方達が、あそこまでかなりコアな土佐弁の台詞を

マスターするのは、並大抵のことではなかっただろうと毎回感心します。

きっと脚本はもっと大変だったと思う。

ギャグやツッコミを随所に散りばめていて、見事でした。

しかも、出演者はALTとかの方がほとんどなので、ダンスをやってたとか、

歌をやってたとかそんな特別な方達ではないのです。



一昨年は、アントニオとクレオパトラと

土佐藩初代藩主 山内一豊、千代夫婦をなぞらえたラブコメでした。



昨年は、ギリシャ神話のヘラクレスが四国八十八カ所巡りで嫁を捜すという、

これまたラブコメでした。



そして今年は、坂本龍馬とお龍さんが長州と薩摩の仲を取り持つのに一肌脱いだ、

ありえねー裏話でした。もちろんラブコメです。



客席には出演者の友人達の外国人も沢山来てました。

彼らは、「ヒューヒュー」とか「イエーイ」とか盛んに楽しそうでしたが、

果たして、内容はわかっていたのだろうか。



私は子どもが毎年楽しみにしているので、今回も子ども達と一緒に行きました。

とっても面白かったので、子ども達は今年も大満足のようでした。



見どころは、彼らの土佐弁です。

標準語「知ってるから」

ジモティーの土佐弁「知っちゅうき」

外人の土佐弁「しっっちゅうっきい〜」

これが、子ども達にはおもろいようです。(私にも)



注)どうも、高校時代 英語に(も)泣かされた私には、

彼らが日本語に苦戦しているのをみると楽しいという、

妙なクセが身に付いてしまっているようです。

「君たちもがんばりたまえ。ははは。」みたいな。



彼らの活動はミュージカルだけではなく、

ちょっとした映像祭も年に一度やってます。



高知に滞在している間に、高知の方と本当に密度の濃い交流をしてくれる彼らに、

私たちもいい思い出を作ってお国に帰っていただきたいと切に思います。




2008/04/17

ジギーとヘドウィグ




「ジギー・スターダスト」を久しぶりに聴いていました。




















何回聴いてもvery newです。

嬉しいことに、このアルバムの中には一つもはずれがありません。

35年も前の作品とは思えない。



そして、最近ではこれを聴くと必ず「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」

の映画(ミュージカルは観たことないです)の各シーンがセットで頭に浮かびます。





















ヘドウィグ・・・の映画のなかでも、

主人公のヘドウィグはデヴィッド・ボウイをかなり尊敬し意識していることが

台詞から読み取れます。見ようによっては、まるでデヴィッド・ボウイです。



映画のほうは、元がミュージカルだし、ロックスターの話なので歌やライブのシーンが多いです。

私は観る前、そんな映画耐えられるかなぁ。でも、この映画は押さえときたいしな。

ま。短い(91分)からええかな。と、眉唾で見始めました。が、

どっこい

このヘドウィグが、めちゃめちゃ歌がうまいんですよ。

まじ、引き込まれてしまうような見事な歌唱力とカリスマ性です。



ストーリーは、もうこの際どーでもいいんよ。

歌よ。ヘドウィグの歌がええんよ。



ヘドウィグの役をしてる人は、ミュージカルでも映画でも本人が脚本・監督・主演です。

すばらしい!!!あんた、天才やなあ。



2008/04/11

高知城 花回廊



またまた高知城ネタです。



先週末、4月4日(金)・5日(土)・6日(日)と、高知城 花回廊という催しが高知城でありました。



夕方5時頃から夜9時過ぎまで、追手門横、杉の段、二の丸の各ステージで、神楽舞や邦楽の演奏会、地元の保存会の方による浄瑠璃上演などが披露されました。



私はなんとか、5日土曜日に行くことができました。























↑追手門横のステージです。人が集まってきました。























↑追手門横のステージの神楽舞です。




















↑杉の段のステージで琴・尺八・二胡の演奏が披露されています。



また、各所にはとても華やかな生け花がカラフルな照明で彩られ、天守閣や本丸御殿も外観を美しくライトアップされて、本当に美しかったです。



昼間に用事で友人たちと高知城に来ていました。友人たちとは明るいうちに解散したのですが、

私は個人的に秋頃するイベントの予習も兼ねて観ておきたい出し物があり、お城に残りました。



ついでに神楽舞なんてそうそう見られないしと思い、軽い気持ちで「ついで気分」で色々見て回りました。

ところが、雰囲気的にも、視覚的にも、季節的にも申し分無く、素晴らしかったのです。



二の丸では商工会議所 婦人部の方が着物で和菓子とお茶をお接待していて、それを緋毛氈を敷いて大きな和傘を立てた腰掛けでいただきました。わふぅ〜。(和風)



この二の丸に見事な桜がありました。

















私は8時前にはお城を跡にしましたが、まだどんどん天守閣に向けて沢山の人が階段をぞろぞろ上がってきていて、本当にいい雰囲気で賑わっていました。





























↑帰りに追手門と天守閣を振り返って眺めました。





2008/04/09

高知城---石垣

今回は、追手門を紹介する予定でしたが、(私の中では)

石垣の写真をたまたま撮りましたので、

高知城の石垣を取りあげることにしました。



マニアックかもしれませんが、ハマると色んなお城の石垣が片っ端から気になりだします。



高知城の石垣は、一部を除いてほとんどが「野面積み(のづらづみ)」という工法で築かれています。

これは、自然石をそのまま太い方を内側に積んで表面の隙間に小ぶりの石を詰める。内側には栗石を詰めて排水を良くするという方法です。戦国時代の城郭に多くみられます。



儒学者、荻生徂徠(おぎゅうそらい)によると、石垣の工法には大きく分けて3種類あるそうです。

●野面積み

●打込ハギ(石の角や表面を加工して整え、石と石の間に合端石を詰める方法です。安土城以降急速に普及しました。切石積みにすることで野面積みよりも高い石垣を築くことができました。代表的なお城は、熊本城です。)

●切込ハギ(切石を隙間無く積み上げる。江戸時代に発達した技法です。期間や費用を要するので、重要な部分にのみ用いられることが多いです。)



高知は全国でもトップレベルで降雨量が多いので、排水の良い野面積みが適していたことと、予算的な理由からそのほとんどが野面積みで築かれたものと思われます。



高知城の石垣も穴太衆によって築かれました。穴太衆は近江の国(滋賀県)の石工集団です。安土城を手がけて以来その技術に高い評価を得、以来全国の築城に貢献しました。



杉の段から三の丸を見上げたところで高知城の石垣が一番良く見えるのですが、この三の丸の部分のみが人工的な盛り土でできていますので、過去にも崩壊したことがあるため、定期的に改修工事を要します。

三の丸にはかつてコンベンションホールのようなものがありました。明治以降はそれは一時県庁舎として使われたりもしましたがすぐに撤去され、桜の木が沢山植えられ、高知市民の花見スポットとなりました。今年は東京に先を越されましたが、毎年1,2位を争って開花宣言を告げるソメイヨシノの標準木もここにあります。



けれども、現在は石垣の工事中で花見ができるスペースが狭くなっています。

ま、それでも、私は3月29日に友人とともにお弁当下げて繰り出しましたが。



ところで、最近知った情報ですが、お城といえば「松」ですが、これは、ただの偶然ではないらしいのです。

松は、有事の際、松明としても使えるし、皮をはいだ芯の部分は食べられるし、松ヤニは止血作用があるということで、要塞としての機能が欠かせなかった城には必ず松が植えられているそうです。

また、春になると各地のお城で桜祭りなるものが行われますが、意外にも桜は元々はお城にはあまり意図して植えられることはなく、明治以降、各地のお城が市民に公園として開放されたのを機に政府が桜を植えるように推し薦めたことによって広まったそうです。





2008/04/03

それでは、高知城---山内一豊像から・・・

高知へ、もし日曜日に来られたなら、

日曜市へお出かけください。日の出から日没までやってます。



日曜市では高知の特産品が格安で仕入れられます。

お花、お野菜、果物、雑貨、古銭、小動物、打刃物、骨董、民芸品etc

有名なのは芋天です。おいしいです。

はじめて日曜市に行ったときは、

こんな大掛かりなことを毎週日曜日にやってるとは、

恐るべし土佐人のエネルギー!とまじびっくり仰天でした。

300年の歴史があります。

追手筋と言われる通りに約1kmにわたって繰り広げられています。



その追手筋の西端に高知城があります。

高知城の追手門近くに、それはあります。



今日の主役、山内一豊(1545-1605)の像です。



彼は最初父とともに尾張に仕え、父の死後は流浪の後、

織田信長方の豊臣秀吉に仕えました。

功績により、近江国唐国400石(滋賀県虎姫町)

→近江国長浜2万石(滋賀県長浜市)

→遠州(静岡県)掛川5万石と出世していきます。

そして、1600年の関ヶ原の戦いの功績で土佐一国通称24万石を与えられます。



ところで、一石って一体何?とお思いの方も多いと思います。

一石とは、成人男性一日3合食べると考えて大体一年に食べるお米の量だそうですが、

曖昧です。







高知城は山内一豊公によって1601年から約10年にわたって、城下町とともに築城されました。

けれども、一豊は1605年に他界していますので、完成した頃は藩主は2代忠義となっていました。



今ある一豊の像と同じ場所に大正2年に一豊の像が建立されましたが、第2次大戦中に金属回収のため供出されました。現在の像は再び浄財を募って平成8年に1億2千万円で再建除幕されたものです。