2009/04/15

濱口雄幸生家記念館


武市半平太旧宅へ行った日、行きました。


















実は、「武市瑞山生家→」の看板を見た後、そのまま道なりに数分走っていると「浜口雄幸生家→」の看板があるのです。



ライオン宰相 濱口雄幸1870-1931 第27代内閣総理大臣


















生家は、高知市五台山地域にあります。唐谷(からたに)と呼ばれた地区だそうです。



リーフレットによると、後年雄幸は、この唐谷をもじって空谷と書き、「くうこく」と号していたそうです。



昭和5年11月、東京駅で凶弾に見舞われたとき、彼はこれが最期と日頃愛唱していた『碧巌録』(仏教本らしい)の一説を口ずさみ、「男子の本懐だ」と漏らしたそうです。



-----今となっては有名なこの言葉は、翌朝の新聞にも掲載され、一躍流行語になったらしい。



その事件から5ヶ月後に亡くなりました。



禅の世界に精神的な理想を求めた男子だったんだろうな。と、その人物を想像しました。



濱口雄幸はこの地で水口家の三男として生まれたそうです。長男とは16才、次男とは8才も年が離れており、もっぱら一人で自然を相手に遊ぶか、本を読んで過ごすようになったそうです。



20才くらいの頃、ここから車で1時間くらい離れた所、田野町の濱口家の養子となり、娘の夏と結婚します。(田野町にも濱口雄幸旧邸があり、田野町教育委員会が管理しているみたい。)



それまでの少年時代をこの唐谷で過ごした事になります。






























主家の他に、勉強部屋と蔵があります。蔵は資料館となっています。



庭もあり、庭の向こうには畑もあります。



久しく誰も住んでおらず、廃墟と化していましたが、平成4年に有志により「補修復元する会」が発足されました。ちょうど時代の雄幸への再評価などと相まって、一年間で約3,500万円以上の浄財が集まり、平成6年に開館しました。


ここは、高知市教育委員会が管理していて、へんぴな所にある割に、きれいに整備されています。

ここに来たら濱口雄幸の評価もぐっと上がるかも。

余計に、武市半平太旧宅訪問がなんだか残念でした。

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