ひとみちゃん「お母さん、なんで色んなCMで、"はうす"って言うが?」
私「色んなCMで?ハウス?・・・って例えば?」
ひとみちゃん「たとえば、
♪たま〜ご ひとつで ふんわ〜りぃ ”はうす” できたてづくり!♪
とか、
♪”はうす”メガシャキ!♪ とか」
そうです。ひとみちゃんは、ハウス食品という会社がある事を知らなかったのです!
ハウスというのは、会社の名前であることを説明すると、すぐに納得してました。
それまで、”はうす” = HOUSE = 家 ・・・ つまり、家で使う物のCMには、”はうす”っていう言葉を入れる慣習でもあるんかなあ。と想像してたそうです。
2009/04/26
龍馬の生まれた町記念館
「龍馬歴史館」・「坂本龍馬記念館」・「龍馬の生まれた町記念館」
今日はその一つ、「龍馬の生まれた町記念館」のレポートです。
高知での皇族方の常宿といえば、高知市上町(かみまち)の城西館という老舗旅館です。また、高知が選挙区だった吉田茂元首相が選挙で高知へやって来た時の常宿でもありました。
その城西館の裏手、南側に「龍馬の生まれた町記念館」は、あります。
龍馬は高知市上町で生まれ育ちました。
「龍馬の生まれた町記念館」と名乗っているだけあって、この「上町」という地域に重点が置かれてる感じです。
上町は高知市の幹線道路、国道32号線(通称電車通り)に面した地区ですが、少し南に入ると周辺は瀟洒な邸宅が立ち並んでたりします。
高知城からも歩いて行ける範囲です。
また、「日曜市」はご存知の方も多いと思いますが、「龍馬の生まれた町記念館」のすぐ近くでは毎週火曜日に「火曜市」が開催されています。
(実は、他に「木曜市」とか「金曜市」も市内各所で開催されているのです。どれも日曜市と同じく300年の歴史があります。)
建物は土佐漆喰を使用した木造作りで、明るく温かみがあります。この雰囲気で早速好感度アップ。
こじんまりした館です。
エントランスに掲示板があり、よく見ると有名人のサインなどが。
入場料大人300円。
展示物は・・・苦しいです。
実は、「坂本龍馬ゆかりの資料」というものは、全国的に人気が高く、2004年に開館したばかりのこの館で新たに(オリジナルにしろレプリカにしろ)資料を揃えて、それらで勝負するというのは不可能に近いことです。
けれども、そこを工夫で乗り切ってる感じです。
館では、龍馬が脱藩するまでのベースとなる人間関係がわかりやすく解説されています。
龍馬ビギナーにも楽しめると思います。
少年時代の活動範囲だった上町で、若かりし龍馬のエピソードなどを見ていると、とても"龍馬さん"が身近に感じられます。
一階の展示をじっくり見た後、「離れ」とよばれる和室があります。靴を脱いで上がってもOKです。
そこには、龍馬さんが座ってました。最初気づかず、びっくりして「わっ」と声を出してしまった。
二階には、大判の高知市内地図があり、龍馬ゆかりの地などがわかりやすく表示されています。
上町周辺や、館から直接歩いてまわれるところもかなり多いです。
というわけで、館を出てから、南に5分程歩いたところにある、
「日根野道場」跡地へ行ってみました。
それは、「鏡川」という高知市内を東西に流れる、高知市のシンボル的川のすぐそばにあります。
川沿いには桜並木の道が何kmかつづいています。
私も、も少し若い頃、自転車でよく通った好きな通りです。
そしてこの辺に河田小龍(かわだ しょうりょう)の寓居があったらしい。
来られた際には、時間があれば是非ここまで足を延ばしてみてください。
鏡川沿いの散策は気持ちいいですよ。
2009/04/22
朝練 あされん
ひとみちゃんは中学校に入学してバスケットボール部に入部しました。
最初は吹奏楽部と迷っていました。
そのことを何かの電話の折りに私が実家の母に漏らしたところ
「運動部の方が人間関係を学べるからいい」と母が言ってました。
そして、それをひとみちゃんに伝えたところ、
あっさりバスケットボール部に入ることを決心しました。
はい、私の実家では、中学校では必ず運動部に入らなければいけないという家訓のようなものがあります。
その理由も私は、はじめて上記の母の発言で知りました。
なるほどね。
現在、ひとみちゃんは部活が楽しくて楽しくて仕方がないようです。
朝練さえも。
はぁ〜。
おかげで私は突然毎朝5時半に起きる日々が始まっちまったよ。
まだ練習着は一着しか持ってないので、夜のうちに洗って干して。
道場のある日には、彼女は夜7時頃に部活から帰ってくると、大急ぎで夕飯食べて、
道着に着替えて、道場へ行って、9時前に帰ってきて、お風呂入って、宿題して、
朝は朝練行って・・・。
でも、本当にどれもこれも楽しそうです。
彼女はがらりと変わった新生活に早くもすっかり馴染んで楽しそうだが、
母さんは、なれるのにもすこしかかりそうだあああああ。
最初は吹奏楽部と迷っていました。
そのことを何かの電話の折りに私が実家の母に漏らしたところ
「運動部の方が人間関係を学べるからいい」と母が言ってました。
そして、それをひとみちゃんに伝えたところ、
あっさりバスケットボール部に入ることを決心しました。
はい、私の実家では、中学校では必ず運動部に入らなければいけないという家訓のようなものがあります。
その理由も私は、はじめて上記の母の発言で知りました。
なるほどね。
現在、ひとみちゃんは部活が楽しくて楽しくて仕方がないようです。
朝練さえも。
はぁ〜。
おかげで私は突然毎朝5時半に起きる日々が始まっちまったよ。
まだ練習着は一着しか持ってないので、夜のうちに洗って干して。
道場のある日には、彼女は夜7時頃に部活から帰ってくると、大急ぎで夕飯食べて、
道着に着替えて、道場へ行って、9時前に帰ってきて、お風呂入って、宿題して、
朝は朝練行って・・・。
でも、本当にどれもこれも楽しそうです。
彼女はがらりと変わった新生活に早くもすっかり馴染んで楽しそうだが、
母さんは、なれるのにもすこしかかりそうだあああああ。
2009/04/21
家庭訪問
tiotio家は、年に2回家がきれいになるときがあります。
一回は年末年始
そしてもう一回は家庭訪問の季節。
あのさー、私が小学校の時って、先生玄関までしか入ってこなかったんだけど。
先生は靴は脱がずに、上がりかまちに置かれた座布団に座ってお茶など飲みながら母と話してました。
あれってうちだけだったわけ?和歌山市はそうだったよね、ね、ね、
高知って、家の中まで入って来て、リビングとかでお話をするっってのが主流っつーか、常識らしんだよねー。
そして、tiotio家は二階がリビングですので、玄関から階段を上って二階まで到達するその動線全部を掃除しなければならないわけよ。
納得できない。
ひとみちゃんは3-4才のとき幼稚園に一年だけ通いました。
その幼稚園には家庭訪問がありました。噂で、
「家庭訪問では先生が家の中まで上がり込む」と聞いて、
「なぬ?」と驚き、「私は、玄関で話する。」とお母さん友だちに告げました。すると、
「えー!!!かなり変わったお母さんと思われるで。」と止められたので、一応家の中も片付けときました。
やっぱり先生はトーゼンのように靴を脱いで上がってきました。
小学校になってもやはり事態は同じ。
先生方は当たり前に靴を脱いで上がってきます。
そして、この春中学校に入学したひとみちゃんの担任の先生もやっぱり上がってきました。
これは「高知ならでは」だと私は信じていますが、
それともあのころ、玄関でしれっと済ませていたのは、私の母だけだったのだろうか。
一回は年末年始
そしてもう一回は家庭訪問の季節。
あのさー、私が小学校の時って、先生玄関までしか入ってこなかったんだけど。
先生は靴は脱がずに、上がりかまちに置かれた座布団に座ってお茶など飲みながら母と話してました。
あれってうちだけだったわけ?和歌山市はそうだったよね、ね、ね、
高知って、家の中まで入って来て、リビングとかでお話をするっってのが主流っつーか、常識らしんだよねー。
そして、tiotio家は二階がリビングですので、玄関から階段を上って二階まで到達するその動線全部を掃除しなければならないわけよ。
納得できない。
ひとみちゃんは3-4才のとき幼稚園に一年だけ通いました。
その幼稚園には家庭訪問がありました。噂で、
「家庭訪問では先生が家の中まで上がり込む」と聞いて、
「なぬ?」と驚き、「私は、玄関で話する。」とお母さん友だちに告げました。すると、
「えー!!!かなり変わったお母さんと思われるで。」と止められたので、一応家の中も片付けときました。
やっぱり先生はトーゼンのように靴を脱いで上がってきました。
小学校になってもやはり事態は同じ。
先生方は当たり前に靴を脱いで上がってきます。
そして、この春中学校に入学したひとみちゃんの担任の先生もやっぱり上がってきました。
これは「高知ならでは」だと私は信じていますが、
それともあのころ、玄関でしれっと済ませていたのは、私の母だけだったのだろうか。
2009/04/17
道場で動揺
今日、午後7時過ぎ、道場へひとみちゃんとポチャオ君を迎えに行きました。
久しぶりの子どもの部での稽古でしたので、様子を見たかったのですが、
用事があり、今日は送迎だけでした。
道場に入ると、既に稽古は終わっており、子ども達もお母様方も談笑中でした。
「tiotioさん」と私を呼ぶ声がします。
振り向くと、ワグチさんです。
ワグチさんは、昨年一緒に「赤い風船」の映画を観たり、
GWには潮干狩りに誘ってもらったりしました。
とっても人懐っこい、かわいらしい人です。
大学時代は美術系だったらしく、なにかとセンスのある人です。
私の好きそうな本や映画の情報を教えてくれたり、
子ども達にもかわいらしいお花をくれたり、
おいしい手作りケーキをくれたりします。
・・・とたっぷりヨイショするのにも実は訳があります。
ま、話を進めます。
そのワグチさんが「tiotioさん、こっちこっち。」とにんまり笑って手招きしています。
先に申し上げました通りわたしは久しぶりの道場で、ワグチさんとも久しぶりでしたので、
ちょっと丁寧めに会釈をしながらワグチさんに近づくと、
ワグチさん「ひとみちゃん、B型なんですね」
私「そうなんですよー。」・・・ひとみちゃんがワグチさんに言ったのかしら?
ワグチさん「ブログみました」
私!!!!!!!ワグチさんの肩を掴んで「どどど、どういうこと???」
ワグチさん「ブログに書いてましたよね。」
動揺を隠せずにいると、そこにひとみちゃんがやってきました。
ワグチさん「ひとみちゃん、B型なんだよね」
ひとみちゃん「うん」
私「ワグチさん、ブログ見たんやって」
ひとみちゃん「えええ???どどど、どういうこと?ぶぶぶ、ブログって、、、母さんの?」
ワグチさん「そうよ」にんまり
私がこんなところでブログを書いてることを知っているのは、世界中で
家族以外に4人しかいません。5人目が登場なのです。
こ、これは、ヒジョーにおめでたい・・・あ、間違えた。ヒジョーにおどろいた!!
ひとみちゃん「じゃ、じゃあ、イキガッセンとか、バレてる?」
ワグチさん「うん、知ってる」にんまり
ひとみちゃんと私の頭の中では、今までの数々のお恥ずかしい記事がスロットマシーンの如く超高速で回転しています。
しばらく、ブログの事とか、お話ししましたが、実はあまりの動揺に何を話したか全く覚えていません。
・・・というこの記事もワグチさんが読んでしまう可能性がありますので、ちょっと胡麻を擂ったりしてみました。
ふー。
久しぶりの子どもの部での稽古でしたので、様子を見たかったのですが、
用事があり、今日は送迎だけでした。
道場に入ると、既に稽古は終わっており、子ども達もお母様方も談笑中でした。
「tiotioさん」と私を呼ぶ声がします。
振り向くと、ワグチさんです。
ワグチさんは、昨年一緒に「赤い風船」の映画を観たり、
GWには潮干狩りに誘ってもらったりしました。
とっても人懐っこい、かわいらしい人です。
大学時代は美術系だったらしく、なにかとセンスのある人です。
私の好きそうな本や映画の情報を教えてくれたり、
子ども達にもかわいらしいお花をくれたり、
おいしい手作りケーキをくれたりします。
・・・とたっぷりヨイショするのにも実は訳があります。
ま、話を進めます。
そのワグチさんが「tiotioさん、こっちこっち。」とにんまり笑って手招きしています。
先に申し上げました通りわたしは久しぶりの道場で、ワグチさんとも久しぶりでしたので、
ちょっと丁寧めに会釈をしながらワグチさんに近づくと、
ワグチさん「ひとみちゃん、B型なんですね」
私「そうなんですよー。」・・・ひとみちゃんがワグチさんに言ったのかしら?
ワグチさん「ブログみました」
私!!!!!!!ワグチさんの肩を掴んで「どどど、どういうこと???」
ワグチさん「ブログに書いてましたよね。」
動揺を隠せずにいると、そこにひとみちゃんがやってきました。
ワグチさん「ひとみちゃん、B型なんだよね」
ひとみちゃん「うん」
私「ワグチさん、ブログ見たんやって」
ひとみちゃん「えええ???どどど、どういうこと?ぶぶぶ、ブログって、、、母さんの?」
ワグチさん「そうよ」にんまり
私がこんなところでブログを書いてることを知っているのは、世界中で
家族以外に4人しかいません。5人目が登場なのです。
こ、これは、ヒジョーにおめでたい・・・あ、間違えた。ヒジョーにおどろいた!!
ひとみちゃん「じゃ、じゃあ、イキガッセンとか、バレてる?」
ワグチさん「うん、知ってる」にんまり
ひとみちゃんと私の頭の中では、今までの数々のお恥ずかしい記事がスロットマシーンの如く超高速で回転しています。
しばらく、ブログの事とか、お話ししましたが、実はあまりの動揺に何を話したか全く覚えていません。
・・・というこの記事もワグチさんが読んでしまう可能性がありますので、ちょっと胡麻を擂ったりしてみました。
ふー。
2009/04/15
濱口雄幸生家記念館
実は、「武市瑞山生家→」の看板を見た後、そのまま道なりに数分走っていると「浜口雄幸生家→」の看板があるのです。
ライオン宰相 濱口雄幸1870-1931 第27代内閣総理大臣
生家は、高知市五台山地域にあります。唐谷(からたに)と呼ばれた地区だそうです。
リーフレットによると、後年雄幸は、この唐谷をもじって空谷と書き、「くうこく」と号していたそうです。
昭和5年11月、東京駅で凶弾に見舞われたとき、彼はこれが最期と日頃愛唱していた『碧巌録』(仏教本らしい)の一説を口ずさみ、「男子の本懐だ」と漏らしたそうです。
-----今となっては有名なこの言葉は、翌朝の新聞にも掲載され、一躍流行語になったらしい。
その事件から5ヶ月後に亡くなりました。
禅の世界に精神的な理想を求めた男子だったんだろうな。と、その人物を想像しました。
濱口雄幸はこの地で水口家の三男として生まれたそうです。長男とは16才、次男とは8才も年が離れており、もっぱら一人で自然を相手に遊ぶか、本を読んで過ごすようになったそうです。
20才くらいの頃、ここから車で1時間くらい離れた所、田野町の濱口家の養子となり、娘の夏と結婚します。(田野町にも濱口雄幸旧邸があり、田野町教育委員会が管理しているみたい。)
それまでの少年時代をこの唐谷で過ごした事になります。
主家の他に、勉強部屋と蔵があります。蔵は資料館となっています。
庭もあり、庭の向こうには畑もあります。
久しく誰も住んでおらず、廃墟と化していましたが、平成4年に有志により「補修復元する会」が発足されました。ちょうど時代の雄幸への再評価などと相まって、一年間で約3,500万円以上の浄財が集まり、平成6年に開館しました。
ここは、高知市教育委員会が管理していて、へんぴな所にある割に、きれいに整備されています。
ここに来たら濱口雄幸の評価もぐっと上がるかも。
余計に、武市半平太旧宅訪問がなんだか残念でした。
2009/04/14
武市半平太旧宅と墓
もう、何年も前からずうっと気になっていました。国の史跡にも指定されているそうです。
「通り道にある気になるスポット」って、なかなか行く機会がないんですが、
ある日、意を決して行きました。
土佐勤王党を結成し、その活動に身を投じきった人。
その方の生家が今も築200年ながら改修を重ねつつ、ほぼ往時のままの姿で残っています。
しかも行ってびっくりしたのが、現在も一般の方が住まわれているのです!
申し出れば中を見学させてもらえるそうです。が、
人が住んでる事にびっくりして、そこの飼い犬に吠えられて、更に赤ちゃんの泣き声が聞こえたりして・・・。
そおっと、門から離れました。
そして、生家のすぐ横手にある瑞山神社とお墓に移動しました。
瑞山神社は・・・。
瑞山神社の横にいかにも手作り風の資料館(?)みたいなものがあります。
これはかなり独特の雰囲気を醸し出しています。
そして、お墓です。
仲の良かった夫婦そのままに、妻の冨さんのお墓が寄り添うようにとなりにありました。
さて、今回最も残念だったのが、意を決して行った割に、武市半平太の旧宅を見学させてもらう勇気がなかったことです。
うーん。悔やまれる。
2009/04/10
2009/04/09
禁煙
先輩は愛煙家でした。
一週間前まで。
私は割と愛煙家の方には理解があります。
今まで、先輩に対してタバコをやめるよう言った事はないです。
(やめたらいいのに というオーラは出ていたかもしれませんが)
タバコくらいでストレスが解消できるんやったら、お安いもんやん。と思っています。
そして、先輩も今までタバコをやめたいと強く思った事もないようでした。
むしろ、なんで「やめなあかんの?」くらいの気持ちでいたようです。
だから、彼がタバコをやめる事は一生ないと思っていました。
それが、一週間前、事態は急変しました。
その日彼は、春休みで高松の祖父母の所に泊まりに行っていた子ども達を迎えに行きました。
天気のよい平日の午後。沿道の山桜など眺めながら気持ちよくドライブしていた彼は、
あっさりスピード違反でつかまりました。
罰金18,000円 点数は一気に5点に。
夜8時頃、子ども達を乗せて帰ってきました。
そして私の顔を見て第一声が
「タバコやめるわ。」
今日で一週間。本当に吸ってないようです。
一週間前まで。
私は割と愛煙家の方には理解があります。
今まで、先輩に対してタバコをやめるよう言った事はないです。
(やめたらいいのに というオーラは出ていたかもしれませんが)
タバコくらいでストレスが解消できるんやったら、お安いもんやん。と思っています。
そして、先輩も今までタバコをやめたいと強く思った事もないようでした。
むしろ、なんで「やめなあかんの?」くらいの気持ちでいたようです。
だから、彼がタバコをやめる事は一生ないと思っていました。
それが、一週間前、事態は急変しました。
その日彼は、春休みで高松の祖父母の所に泊まりに行っていた子ども達を迎えに行きました。
天気のよい平日の午後。沿道の山桜など眺めながら気持ちよくドライブしていた彼は、
あっさりスピード違反でつかまりました。
罰金18,000円 点数は一気に5点に。
夜8時頃、子ども達を乗せて帰ってきました。
そして私の顔を見て第一声が
「タバコやめるわ。」
今日で一週間。本当に吸ってないようです。
2009/04/08
B型バンザイ!
私はB型です。
先輩はA型です。
ひとみちゃんとポチャオ君は何型か知りません。
でした。
先日、ひとみちゃんの二種混合追加という予防接種を受けに病院に行きましたら、
ひとみちゃんが、
「おかあさん、ここで私の血液型調べてもらえんかなあ。」
と。
どうも、友だちと血液型の話で盛り上がったとき、自分の血液型がわからないと
今イチ乗れないらしく、どうしても自分の血液型が知りたいということでした。
それなら、ついでに調べてもらおうか。
ということで、調べてもらいました。
といっても、その日は採血するだけで、結果は翌日。
採血した日の夜は晩ご飯の時もひとみちゃんの血液型が何型かで盛り上がりました。
ひとみちゃん「何型かなあ、ドキドキする。^^」
先輩「A型じゃない?」
ひとみちゃん「そうかなあ。父さんはどうしてそう思うが?」
先輩「ひとみちゃんは真面目やし。」
私「そう?ひとみちゃんは私に似てる所があるから、Bかもよ。」
ひとみちゃん「えー!Bはちょっと・・・。」
私「何よ。」
ひとみちゃん「えー・・・だって母さんみたいなんがBなんやろ?それはちょっと・・・」
私「いやなん?」
ひとみちゃん「まあ、母さんよりはお父さんに似たいっていうか・・・」
私「ポチャオ君はどう?」
ポチャオ君「僕もお母さんよりは、父さんに似たい。」
私「なんでえよ!」
ひとみちゃん「ポチャオ君なんて、低学年のとき、名札の後ろの住所とか血液型とか書く所に勝手にA型って書いてたのに。」
私 一瞬絶句
ポチャオ君「だって、A型のほうがいいんやもん。」
おりゃああああ!!! なんでえじゃあああ!!! ぬかしてみいいいい!!!
ふんっ! どいつもこいつも。世の中の連中は私がB型と言うや否や途端に顔色変えやがってえ。
先輩にいたっては、どこかで「B型ってえ、あーでこーで」なーんて話題が始まったら
水を得た魚のように活き活きと「そーそー!ほいでよ、B型ってよ、」
と私の日常をバラし始めるし。
えーわいえーわい。
そして翌日、病院に結果を聞きに行きました。
ひとみちゃんは「B型」でした!!!!
わっはっはっは。
彼女は最初複雑そうな顔をしてましたが、前日はあんなに言ってた割にすぐにその現実を受け入れたようで、ゲラゲラ笑いながら先輩とポチャオ君に「それが私ってよー、B型やったんよー!あはははは。」なんて報告してました。
先輩はA型です。
ひとみちゃんとポチャオ君は何型か知りません。
でした。
先日、ひとみちゃんの二種混合追加という予防接種を受けに病院に行きましたら、
ひとみちゃんが、
「おかあさん、ここで私の血液型調べてもらえんかなあ。」
と。
どうも、友だちと血液型の話で盛り上がったとき、自分の血液型がわからないと
今イチ乗れないらしく、どうしても自分の血液型が知りたいということでした。
それなら、ついでに調べてもらおうか。
ということで、調べてもらいました。
といっても、その日は採血するだけで、結果は翌日。
採血した日の夜は晩ご飯の時もひとみちゃんの血液型が何型かで盛り上がりました。
ひとみちゃん「何型かなあ、ドキドキする。^^」
先輩「A型じゃない?」
ひとみちゃん「そうかなあ。父さんはどうしてそう思うが?」
先輩「ひとみちゃんは真面目やし。」
私「そう?ひとみちゃんは私に似てる所があるから、Bかもよ。」
ひとみちゃん「えー!Bはちょっと・・・。」
私「何よ。」
ひとみちゃん「えー・・・だって母さんみたいなんがBなんやろ?それはちょっと・・・」
私「いやなん?」
ひとみちゃん「まあ、母さんよりはお父さんに似たいっていうか・・・」
私「ポチャオ君はどう?」
ポチャオ君「僕もお母さんよりは、父さんに似たい。」
私「なんでえよ!」
ひとみちゃん「ポチャオ君なんて、低学年のとき、名札の後ろの住所とか血液型とか書く所に勝手にA型って書いてたのに。」
私 一瞬絶句
ポチャオ君「だって、A型のほうがいいんやもん。」
おりゃああああ!!! なんでえじゃあああ!!! ぬかしてみいいいい!!!
ふんっ! どいつもこいつも。世の中の連中は私がB型と言うや否や途端に顔色変えやがってえ。
先輩にいたっては、どこかで「B型ってえ、あーでこーで」なーんて話題が始まったら
水を得た魚のように活き活きと「そーそー!ほいでよ、B型ってよ、」
と私の日常をバラし始めるし。
えーわいえーわい。
そして翌日、病院に結果を聞きに行きました。
ひとみちゃんは「B型」でした!!!!
わっはっはっは。
彼女は最初複雑そうな顔をしてましたが、前日はあんなに言ってた割にすぐにその現実を受け入れたようで、ゲラゲラ笑いながら先輩とポチャオ君に「それが私ってよー、B型やったんよー!あはははは。」なんて報告してました。
2009/04/04
青沼静馬ごっこ
自称エコな人、tiotioです。
ただ、私の化粧風景をみると、誰でも「どこがエコやねん!」とつっこみたくなるかもしれません。
そんな私のメイクアップで一番重要なのはファンデーションのノリと仕上がりです。
今朝も、ポチャオ君の「おかあさん、そんなに塗らんといて」の叫びも無視して
塗ったりのばしたりしてました。
うん。完璧な仕上がり。
けれども、ファンデーションの仕上げに熱中するあまり、時間を忘れていました。
子どもを道場に連れて行くのに、もう家を出なければいけない時間です。
まだまゆ毛も描いてないし、くちびるをどうにかする時間さえありません。
しまった!またやってしまった!
「今日もお母さんは稽古をみられませんので。
あなた達を道場に連れて行ったら、家に一旦帰るからね。
時間になったら、迎えに行きます。」
ひとみちゃん「そうよな、そんな真っ白の顔じゃなあ車からも降りれんわな。」
私「ご明答。」
大急ぎで車に乗り込みました。
道中、ルームミラーにうつる私の顔は
死体か、あるいは、覆面をかぶった青沼静馬。
なんとなく青沼静馬のマネをしたくなり、声色を変えて「青沼 静馬だよ。」
と言ってみると、子ども達爆笑。
ひとみちゃん「ちゃうちゃう、もっと声高いで『青沼 静馬だよ』」
ポチャオ君「こうやで、『青沼静馬だよ。俺はおふくろの復讐をしに来たんだ』」
私「じゃあ、こう?・・・」
と、青沼静馬ごっこを楽しみながら道場に到着しました。
車から二人を降ろすと、他にも道場に到着したばかりの子ども達の姿がちらほら。
あるお父さんと目が合ったので、車の中から会釈してすれ違いました。
は!しまった!
私の青沼静馬顔を見られてしまった!!!
青沼静馬ごっこをしてるうちに、自分の顔が青沼静馬と化していることをうっかり失念していた!
がーんがーんがーん。
ま、よくあることです。
ただ、私の化粧風景をみると、誰でも「どこがエコやねん!」とつっこみたくなるかもしれません。
そんな私のメイクアップで一番重要なのはファンデーションのノリと仕上がりです。
今朝も、ポチャオ君の「おかあさん、そんなに塗らんといて」の叫びも無視して
塗ったりのばしたりしてました。
うん。完璧な仕上がり。
けれども、ファンデーションの仕上げに熱中するあまり、時間を忘れていました。
子どもを道場に連れて行くのに、もう家を出なければいけない時間です。
まだまゆ毛も描いてないし、くちびるをどうにかする時間さえありません。
しまった!またやってしまった!
「今日もお母さんは稽古をみられませんので。
あなた達を道場に連れて行ったら、家に一旦帰るからね。
時間になったら、迎えに行きます。」
ひとみちゃん「そうよな、そんな真っ白の顔じゃなあ車からも降りれんわな。」
私「ご明答。」
大急ぎで車に乗り込みました。
道中、ルームミラーにうつる私の顔は
死体か、あるいは、覆面をかぶった青沼静馬。
なんとなく青沼静馬のマネをしたくなり、声色を変えて「青沼 静馬だよ。」
と言ってみると、子ども達爆笑。
ひとみちゃん「ちゃうちゃう、もっと声高いで『青沼 静馬だよ』」
ポチャオ君「こうやで、『青沼静馬だよ。俺はおふくろの復讐をしに来たんだ』」
私「じゃあ、こう?・・・」
と、青沼静馬ごっこを楽しみながら道場に到着しました。
車から二人を降ろすと、他にも道場に到着したばかりの子ども達の姿がちらほら。
あるお父さんと目が合ったので、車の中から会釈してすれ違いました。
は!しまった!
私の青沼静馬顔を見られてしまった!!!
青沼静馬ごっこをしてるうちに、自分の顔が青沼静馬と化していることをうっかり失念していた!
がーんがーんがーん。
ま、よくあることです。
2009/04/03
ルワンダの涙
「ホテル・ルワンダ」を前に観ました。
衝撃の映画でした。実話に基づいてるってことと、ドン・チードルの迫真の演技で
ジェノサイドの恐ろしさと、主人公であるホテルの支配人のギリギリの勇気がリアルに伝わってきました。
ここでも、国連軍のあいまいな立場にイラっとしました。
ルワンダのジェノサイドを描いた映画でこれ以上のものはないだろうと思っていました。
ところが、「ルワンダの涙」が、辛口系の某映画紹介サイトで、なかなかの評価を得ていましたので興味が湧き観ました。
感想は、さすがBBC製作。
最後のエンドロールでスタッフ紹介があります。そうです。この映画は多くのジェノサイドを生き残った人達がスタッフとして製作に携わっているのです。だからあんなに克明なんですね。撮影現場もリアルに現地で行われました。
あの凄惨な経験を再現するという作業は彼らにとってどんなに過酷だったことでしょう。それほど、世界に訴えたかったんですね。
主人公はイギリスからやってきた海外青年協力隊の英語教師ジョー。イギリス人牧師が運営する学校で教えています。ルワンダは多数派のフツ族と少数派のツチ族がお互いに反目し合っています。そんな中フツ族出身の大統領の飛行機が撃墜され、一気に状況は悪化します。ベルギーの国連兵士が駐留していた学校にツチ族の人々が一気に避難しにやってきます。学校の外では、ナタをもったフツ族の民兵が集団でツチ族の集落に襲って来たのです。
隙あらば襲撃してやろうとフツ族の民兵達も学校周辺に集まってきます。すごい数です。こわいです。フツ族はツチ族を皆殺しにするつもりなのです。
学校には、NGO活動や仕事あるいは旅行でたまたまルワンダをおとずれていた白人達も避難しています。
そこに、フランス軍がやってきます。皆、やっと助かる!と歓迎ムードですが彼らはフランス人を助け出すためだけにやってきたのです。
交渉で、フランス人以外も「白人なら」一緒に連れて行ってあげましょうということに。
ジョーも、友人のBBCスタッフに一緒に帰るよう言われますが、彼は自分が去った後残される教え子達のことを考えると、とても彼らを置いてはここを離れられないと、神父や国連兵士たちと共に残るのです。
あるとき、門の外に転がる死体を食い荒らす野良犬達を衛生上の理由から国連兵士が撃とうとします。牧師は、「犬が撃ってきたのかね!」と叫びます。自衛以外の命令なしの武力行為は禁止されているからと、フツ族の残虐行為を黙認するくせに、彼らが殺した死体を食い荒らす犬は平気で撃とうとする。国連の役立たずの兵士に怒りをぶつけるシーンです。
この場面が原題「Shooting Dogs」の由来です。
死体が増える限り、野良犬は寄ってきます。元を絶て。と言いたいのですね。
いよいよ、駐留している兵士の身が危険だということで国連軍も撤退することになります。
(はあ?それって何?と文句言いたくなるが)牧師とジョーにとっては脱出の最後のチャンスです。最後の決断を迫られます。
さて、二人が決断し、国連軍が去った後、様子をずっと見守っていた多くのフツ族が「作業開始」という笛の合図とともに、学校へナタを持ってなだれ込んで行きます。
悲しくて、恐ろしいです。
何もしてあげられない。あるいは何もしてあげられなかった。そんなBBCスタッフの思いがこの映画製作につながっています。
話はかわります。
日本人って好奇心旺盛で、外国人好きな人が多いと私は思います。
私もそんな一人だと思います。
日本に来てくれる外国人の方には沢山のいい思い出を作ってお国へ帰ってほしいと思います。
そして、よくもまあ、こんな遠いところへ来てくれるもんだなあ。と感心したりします。
日本が平和な証拠。と、本当に平和のありがたみを噛み締めたりします。
随分前に、NHKスペシャルで、国連軍の制服を着たアフリカ人兵士が、内戦をおさえるために、国連に増派してもらえるよう上官に頼みますが、返事は「白人の兵士一人雇うのにいくらかかるかわかってるのか?」という一言で断られるシーンがありました。
白人の値段は高いんですよね。だって欧米の生活費は高いから。欧米人の給料は高いから。
物価の高さでいうと、日本もだいたい欧米並みですから・・・同じだな。
命に値段の違いがあるみたいで切なくなってしまう。
衝撃の映画でした。実話に基づいてるってことと、ドン・チードルの迫真の演技で
ジェノサイドの恐ろしさと、主人公であるホテルの支配人のギリギリの勇気がリアルに伝わってきました。
ここでも、国連軍のあいまいな立場にイラっとしました。
ルワンダのジェノサイドを描いた映画でこれ以上のものはないだろうと思っていました。
ところが、「ルワンダの涙」が、辛口系の某映画紹介サイトで、なかなかの評価を得ていましたので興味が湧き観ました。
感想は、さすがBBC製作。
最後のエンドロールでスタッフ紹介があります。そうです。この映画は多くのジェノサイドを生き残った人達がスタッフとして製作に携わっているのです。だからあんなに克明なんですね。撮影現場もリアルに現地で行われました。
あの凄惨な経験を再現するという作業は彼らにとってどんなに過酷だったことでしょう。それほど、世界に訴えたかったんですね。
主人公はイギリスからやってきた海外青年協力隊の英語教師ジョー。イギリス人牧師が運営する学校で教えています。ルワンダは多数派のフツ族と少数派のツチ族がお互いに反目し合っています。そんな中フツ族出身の大統領の飛行機が撃墜され、一気に状況は悪化します。ベルギーの国連兵士が駐留していた学校にツチ族の人々が一気に避難しにやってきます。学校の外では、ナタをもったフツ族の民兵が集団でツチ族の集落に襲って来たのです。
隙あらば襲撃してやろうとフツ族の民兵達も学校周辺に集まってきます。すごい数です。こわいです。フツ族はツチ族を皆殺しにするつもりなのです。
学校には、NGO活動や仕事あるいは旅行でたまたまルワンダをおとずれていた白人達も避難しています。
そこに、フランス軍がやってきます。皆、やっと助かる!と歓迎ムードですが彼らはフランス人を助け出すためだけにやってきたのです。
交渉で、フランス人以外も「白人なら」一緒に連れて行ってあげましょうということに。
ジョーも、友人のBBCスタッフに一緒に帰るよう言われますが、彼は自分が去った後残される教え子達のことを考えると、とても彼らを置いてはここを離れられないと、神父や国連兵士たちと共に残るのです。
あるとき、門の外に転がる死体を食い荒らす野良犬達を衛生上の理由から国連兵士が撃とうとします。牧師は、「犬が撃ってきたのかね!」と叫びます。自衛以外の命令なしの武力行為は禁止されているからと、フツ族の残虐行為を黙認するくせに、彼らが殺した死体を食い荒らす犬は平気で撃とうとする。国連の役立たずの兵士に怒りをぶつけるシーンです。
この場面が原題「Shooting Dogs」の由来です。
死体が増える限り、野良犬は寄ってきます。元を絶て。と言いたいのですね。
いよいよ、駐留している兵士の身が危険だということで国連軍も撤退することになります。
(はあ?それって何?と文句言いたくなるが)牧師とジョーにとっては脱出の最後のチャンスです。最後の決断を迫られます。
さて、二人が決断し、国連軍が去った後、様子をずっと見守っていた多くのフツ族が「作業開始」という笛の合図とともに、学校へナタを持ってなだれ込んで行きます。
悲しくて、恐ろしいです。
何もしてあげられない。あるいは何もしてあげられなかった。そんなBBCスタッフの思いがこの映画製作につながっています。
話はかわります。
日本人って好奇心旺盛で、外国人好きな人が多いと私は思います。
私もそんな一人だと思います。
日本に来てくれる外国人の方には沢山のいい思い出を作ってお国へ帰ってほしいと思います。
そして、よくもまあ、こんな遠いところへ来てくれるもんだなあ。と感心したりします。
日本が平和な証拠。と、本当に平和のありがたみを噛み締めたりします。
随分前に、NHKスペシャルで、国連軍の制服を着たアフリカ人兵士が、内戦をおさえるために、国連に増派してもらえるよう上官に頼みますが、返事は「白人の兵士一人雇うのにいくらかかるかわかってるのか?」という一言で断られるシーンがありました。
白人の値段は高いんですよね。だって欧米の生活費は高いから。欧米人の給料は高いから。
物価の高さでいうと、日本もだいたい欧米並みですから・・・同じだな。
命に値段の違いがあるみたいで切なくなってしまう。
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