風邪をひいてしまい、
変な声です。
はなにかかった、艶っぽい声。
になりたいのですが、
私の場合、おかまのおっさん風の声になってしまうようです。
昨日も電話で
「もしもし、わたし」
「・・・」
「tiotioよ!」
「!!!なんなんよ、そのおかまみたいな声は(爆笑のようす)」
今朝も子どもに
「おかあさん、はよお風邪なおしてや。」
「なんで?」
「声が・・・おじさんみたいやし・・・」
「!」
更に、喉が痛いので、私も言葉少なになるんですね。
「ごはん たべ」「うわばき あらい」「おふろ はいり」
とドスの利いた低い声でやられると、私が普通に話してるつもりでも、
しらんおっさんに怒られてるみたいな気分になるらしい。
明日には治りますように。
私としては、今回の風邪のお陰で
じゃ〜ん。
2kg減!!
ひやっほ〜い♪(これってすげくな〜い??)
といいこともありなのですが、
子どもにまでおっさん呼ばわりされると・・・。
明日には完治してますように。
2008/05/24
ももの里
「えほん」なーんて作ってるくせに、
一回しか「えほん」について書いてないことに気付きました。
もうちょっと充実させていこうと考えています。
早速ですが、2年ほどまえ巡り会った、「ももの里」という本を紹介します。
タケという少年が住んでいる里に鬼が襲ってくるのですが、
タケは弟のように可愛がる男の子を何とか救うため知恵と勇気で立ち向かいます。
これは、切り絵が美しい絵本ですが、お話の最後に、
あっと驚く展開が待っています。というのも、もう、もう、
それはですね、
ああぁぁ〜・・・書きたい。ああぁぁ〜ここまで でてるぅぅぅ。
でも、それを書いてしまったら、ネタバレなんてもんじゃなくなってしまうので
ぐっとがまんします。(それとも知りたい?)
小学校の読み聴かせでこの本を読んだときの子ども達のあの感動の目はたまりません。
一緒に聴いてた担任の先生まで、めっちゃ嬉しそうでしたよ。
みんな一斉に長年の謎が解けたような顔をしますよ。
2008/05/22
2008/05/21
難解な質問
日頃から、
なんで子どもの質問ってこんなに難解なんだろう。
と思っています。
そう思っているのは私だけではなく、
世のお母さんたちはみな、思ってるのではないのでしょうか?
そして、そういう難解な質問は、
私の調査によると、夕方〜晩ご飯前くらいに飛び出すことが多いようです。
同僚んちの小学校2年生のいっくんは、国語の宿題中に、
半分怒りながら、
「ねえ、おかあさん、アテハナマルって何よ!」
でました。
「アテハナマル?もっかい読んでごらん。」
「かっこにアテハナマルことばを書きなさい。って書いちゅうもん(書いてるもん)」
はは〜ん。
「ほんとにそう書いちゅう?一文字ずつちゃんと読んでみて。」
「ア テ ハ ナ マ ル」
「・・・」
という具合です。
そして本日私の身の回りでも。
道場に行く前、道衣に袴をまじめな顔して履きながら、
ポチャオ君
「おかあさん、カレーの逆は冷やし中華やろ?」
と薮から棒に尋ねられました。
お米をセットしていた私は、「???????はあ?」
何が?何で?それって、私なんて答えたらええん?
手が止まったままの私を尻目に
おなじく袴を履いていたひとみちゃんは、すごーく冷静に
「うーん。そうとも限らんな。」
と。
それから、二人で袴を履き終わるまで、
じゃあ、何がカレーの逆かということについて
「なるほど」とか「その場合は」とか言いながら
論じ合ってました。
わからんーーーー。
けど、途中で「ソーメンは?」とぽそっと言ってみたら、
「なるほど、いい意見やなあ」
と言ってもらえました。
いい意見?
なんで子どもの質問ってこんなに難解なんだろう。
と思っています。
そう思っているのは私だけではなく、
世のお母さんたちはみな、思ってるのではないのでしょうか?
そして、そういう難解な質問は、
私の調査によると、夕方〜晩ご飯前くらいに飛び出すことが多いようです。
同僚んちの小学校2年生のいっくんは、国語の宿題中に、
半分怒りながら、
「ねえ、おかあさん、アテハナマルって何よ!」
でました。
「アテハナマル?もっかい読んでごらん。」
「かっこにアテハナマルことばを書きなさい。って書いちゅうもん(書いてるもん)」
はは〜ん。
「ほんとにそう書いちゅう?一文字ずつちゃんと読んでみて。」
「ア テ ハ ナ マ ル」
「・・・」
という具合です。
そして本日私の身の回りでも。
道場に行く前、道衣に袴をまじめな顔して履きながら、
ポチャオ君
「おかあさん、カレーの逆は冷やし中華やろ?」
と薮から棒に尋ねられました。
お米をセットしていた私は、「???????はあ?」
何が?何で?それって、私なんて答えたらええん?
手が止まったままの私を尻目に
おなじく袴を履いていたひとみちゃんは、すごーく冷静に
「うーん。そうとも限らんな。」
と。
それから、二人で袴を履き終わるまで、
じゃあ、何がカレーの逆かということについて
「なるほど」とか「その場合は」とか言いながら
論じ合ってました。
わからんーーーー。
けど、途中で「ソーメンは?」とぽそっと言ってみたら、
「なるほど、いい意見やなあ」
と言ってもらえました。
いい意見?
2008/05/15
2008/05/10
広島城まで足をのばしました。
毛利氏が中国地方、9カ国120万石の太守となり、戦国時代も落ち着きをみせはじめると、
山間部にあり、要塞としては抜群であった吉田郡山城より、
商業の中心地として、城下町をもった城郭を作る必要がでてきました。
そして今の地に平城の城郭を築きました。
関ヶ原の合戦後、福島正則が入城し、更に城および城下町の整備をすすめ、広島城を完成させました。
が、洪水で破損した修理を幕府の許可が不十分なまま行ったことから、異動。新たに浅野長晟(ながあきら)が和歌山からやってきます。以後は浅野家が版籍奉還まで約250年間治めました。
昭和6年には国宝にも指定された見事なお城でしたが、原爆で吹き飛んでしまいました。
現在あるのは昭和33年に鉄筋コンクリートで再建されたものだそうです。
広島城は日清戦争の時、様々な条件を満たしているとのことで、大本営が東京から移され、明治天皇も約7ヶ月滞在したそうです。
この鉄筋コンクリートの天守は、刀の展示が充実していて、外観もうつくしいのですが、
個人的には平成6年に木造で再建されたという比較的新しい、表御門からはじまる二の丸の辺りが気に入りました。
2008/05/09
広島平和記念資料館
あの悲劇からまだ、63年しか経っていないんだ。
と、なんともいえない気分でした。
平和記念公園を歩いて、広島平和記念資料館へ行きました。
小学校の修学旅行でこの辺りは今まで定番のコースだったようなのですが、
今年は大阪・京都方面に絞られていて、広島には行かないとのことでしたので、
ひとみちゃんの希望もあり、やってきました。
ひとみちゃんの感想(宿題の作文より)
「もし、私がそのときその場にいたら、耐えられないだろうな。
私たちは、ひさんな戦争を生き抜いた人たちの子孫なのだから、
絶対に生きなければいけないと思った。
資料館をでたときに、空が青く葉っぱは緑なことがすごくうれしく思えた。」
私は、前日に岩国基地で航空ショーを観て、興奮したことを思い出し、
複雑な気分でした。
2008/05/08
なるほど宮島。
1年ほど前から「宮島、行かねばならぬ。」と思っていました。
たまたまこのGWに行けることになりました。
JR宮島口駅から、宮島への連絡船が出ているところまで歩きました。
連絡船はおよそ10分間隔で出ていました。
そして宮島まで船でだいたい10分くらいでした。
着きました。
鹿が沢山いました。奈良の鹿よりは気が優しかったです。(私には)
厳島神社へ歩いていきます。
表参道商店街の一つ裏の筋を歩いて行きました。
倉敷の美観地区に行ったとき、某情報筋から、
美観地区の裏の通りが風情があってすごくいい。
と、勧められ、行ってみたところ、超良かった思い出がありますので、
今回も、裏通りの町家通りを歩いてみました。
超良かったです。お店のたたずまいが落ち着いていて。
もう、全てのお店に、足を踏み入れたいところですね。
家並みも格子戸のお家が静かに並んでいて、落ち着きのある通りでした。
↓タバコの自販機も木枠
↓人力車発見!しかも、ちょ、ちょ、ちょんまげ!!本気ちょんまげ!!
しばらく歩くと、通りから丘の上の五重塔が見えてきます。↓
通りの突き当たりを丘に階段で登ったところに五重塔、横には千畳閣がありました。
千畳閣はざっくりした感じがなんともいえず、落ち着きます。
1314.3平方メートルの広さを誇る建物は、
豊臣秀吉が1587年に毎月千部経を読誦し、戦没将士を慰霊するために作らせたのですが、
1598年の秀吉の死をもって、完成を見ないまま現在に至っているとのことです。
四方のすべての戸を開け放し、風がびゅーびゅー通り抜けていました。
とっても気持ちよかったです。
丘をおりて、厳島神社へ行きます。
厳島神社の社殿の創建は、推古元年(593年)で、
その後、仁和3年(1168年)に平清盛によって現在のように造営されたそうです。
シンボルの大鳥居は、海の中に埋められているのではなく、
なんと自分の重みで立ってるんだと。驚き。
現在のものは8代目で、明治7年10月から建立にかかり、8年7月に完成したそうです。
私が行ったときは、大潮でしたので、潮干狩り?の人がぽつぽついました。
帰りは表参道商店街でお土産を物色しました。
ここは、杓文字が有名でどでかい杓文字を展示してました。
表参道商店街もほどよい賑わいで、気の利いた小物が売られてて、
なかなか良かったです。
見所満載で、本当は、もっと探検したかったのですが、
宮島に来る前にさんざん歩いていたので、もう、これでお腹いっぱいでした。
何度でも行きたいですね。納得。
2008/05/03
竹林寺
高知市の中心部より少し東に五台山(ごだいさん)という山があります。
中心部に近いので展望台からは高知市が一望できて、
夜景もとっても素敵です。
この山はハイキングにもってこいの規模の山なのですが、沢山の史跡もあります。
その中でも最も重要なのが、竹林寺でしょう。
↓本堂とお遍路さん
竹林寺の縁起によると、8世紀の初め聖武天皇が中国の五台山で文殊菩薩に教えを授かる夢を見ました。
聖武天皇は行基に五台山に似た山に伽藍(お寺の建物)を建立するよう命じます。
かくして、724年、この地に寺が開創され、行基自ら文殊菩薩を刻み、山の名前も「五台山」と呼ばれるようになりました。
↓階段も雰囲気があって、いいでしょ。大門の階段もなかなかいいのですが、これはまた違う階段です。
↓五重塔もありますよ。なかなか美しいです。
↓なんかの撮影をしてる人を発見!
↓竹林寺の裏門に通じる階段です。ここがまた雰囲気あっていいんですよ。
9世紀には空海が密教修行にここを訪れ、以来四国霊場31番札所と定められました。
江戸時代には土佐藩 藩主、山内家の庇護のもと隆盛をみましたが、・・・・・
が、が〜〜〜ん、明治になると廃仏毀釈運動が興り、竹林寺も廃寺となり、荒れ放題になってしまいました。
この廃仏毀釈は、地域によってされ方も様々のようですが、四国でもかなりのお寺や仏像がこのときに破壊されました。
明治34年に船岡和尚が住職となり、生涯をかけて寺の復興に尽くしました。
竹林寺は、本当に美しいお寺なんですよ。
大好きです。
高知にお越しの際にはぜひ、お出かけください。
内部の庭園がまた見事なのですよ。
それは、機会があればまた紹介しますが、ぜひ、その目でご覧ください。
このお寺はとっても開かれたお寺で、ジャズコンサートの会場として利用されたりもしてます。
昨年のGWに行ったときは丁度、花祭り(お釈迦様の降誕会ごうたんえ)をしていて、甘茶のお接待がありました。
2008/05/02
植物園
この植物園は、高知ではヒジョーに有名で、
実は、今まで行ったことがないというのは、
恥ずかしいことなのです。
高知県が誇る植物園なのです。
この植物園に入ってすぐのところに高知ではちょっと有名なシェフのレストランがありまして、
「レストランだけ。」と入場口で伝えると、入場料なしで、レストランで食事できます。
で、このレストランには何度も来てるのですが、
肝心要の植物園には
実は行ったことがありませんでした〜。
この、カミングアウトは高知では相当勇気がいります。
実際行った翌日職場の同僚に
「実はさ、昨日植物園に行ってきたのよね。・・・はじめて」
と、こそっと言うと、彼女は鳩が豆鉄砲食らったような顔をしたあと、
「え?え?え?え?あの植物園?今まで行ったことなかったの?」
そして大爆笑。
私赤面。
ヂモティーの方達は、遠足で子どものうちに少なくとも2-3回は行ってます。
ちなみにひとみちゃんは今6年生ですが、7-8回は行ったことあります。
私は行ったことなかったのに。
けれど、意を決して、行ってきました。
(そんなオーバーじゃないんだけどね。だって自宅から車で10分位のところだし。)
感想は・・・すばらしい!!の一言です。
↓植物園は山の上にあります。そこからの眺めですが、多分この画像のどこかにうちがあるはず。
植物園というだけあって、どの季節に行っても、色々な植物が楽しめるようになっています。
めっちゃ広いし、知れば知るほど奥が深いものを感じました。
一日中うろうろしたいですね。
周りの友人には、年間パスポートなるものを購入してる人も少なくありませんが、
納得です。
今回は下見でしたので、次回隅々までなめるようみるためにまた行ってきます。
そして、今回ママをエスコートしてくれた、ぽちゃお君ありがとうね。
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