今回は、追手門を紹介する予定でしたが、(私の中では)
石垣の写真をたまたま撮りましたので、
高知城の石垣を取りあげることにしました。
マニアックかもしれませんが、ハマると色んなお城の石垣が片っ端から気になりだします。
高知城の石垣は、一部を除いてほとんどが「野面積み(のづらづみ)」という工法で築かれています。
これは、自然石をそのまま太い方を内側に積んで表面の隙間に小ぶりの石を詰める。内側には栗石を詰めて排水を良くするという方法です。戦国時代の城郭に多くみられます。
儒学者、荻生徂徠(おぎゅうそらい)によると、石垣の工法には大きく分けて3種類あるそうです。
●野面積み
●打込ハギ(石の角や表面を加工して整え、石と石の間に合端石を詰める方法です。安土城以降急速に普及しました。切石積みにすることで野面積みよりも高い石垣を築くことができました。代表的なお城は、熊本城です。)
●切込ハギ(切石を隙間無く積み上げる。江戸時代に発達した技法です。期間や費用を要するので、重要な部分にのみ用いられることが多いです。)
高知は全国でもトップレベルで降雨量が多いので、排水の良い野面積みが適していたことと、予算的な理由からそのほとんどが野面積みで築かれたものと思われます。
高知城の石垣も穴太衆によって築かれました。穴太衆は近江の国(滋賀県)の石工集団です。安土城を手がけて以来その技術に高い評価を得、以来全国の築城に貢献しました。
杉の段から三の丸を見上げたところで高知城の石垣が一番良く見えるのですが、この三の丸の部分のみが人工的な盛り土でできていますので、過去にも崩壊したことがあるため、定期的に改修工事を要します。
三の丸にはかつてコンベンションホールのようなものがありました。明治以降はそれは一時県庁舎として使われたりもしましたがすぐに撤去され、桜の木が沢山植えられ、高知市民の花見スポットとなりました。今年は東京に先を越されましたが、毎年1,2位を争って開花宣言を告げるソメイヨシノの標準木もここにあります。
けれども、現在は石垣の工事中で花見ができるスペースが狭くなっています。
ま、それでも、私は3月29日に友人とともにお弁当下げて繰り出しましたが。
ところで、最近知った情報ですが、お城といえば「松」ですが、これは、ただの偶然ではないらしいのです。
松は、有事の際、松明としても使えるし、皮をはいだ芯の部分は食べられるし、松ヤニは止血作用があるということで、要塞としての機能が欠かせなかった城には必ず松が植えられているそうです。
また、春になると各地のお城で桜祭りなるものが行われますが、意外にも桜は元々はお城にはあまり意図して植えられることはなく、明治以降、各地のお城が市民に公園として開放されたのを機に政府が桜を植えるように推し薦めたことによって広まったそうです。
2 件のコメント:
松は、有事の際、松明としても使えるし、皮をはいだ芯の部分は食べられるし、松ヤニは止血作用があるということで、要塞としての機能が欠かせなかった城には必ず松が植えられているそうです
→なるほど。これは勉強になりました。
和歌山城は別名 虎伏山竹垣城といいますが、竹垣が多かったようです。これは竹が、いざとなれば削って槍にできるからだそうです。
でしょでしょでしょ、
松がこんなにお役立ちとは。うーん。納得。
そういえば、和歌山城って、竹林もあったような・・・。
ちょっと、早く和歌山城に行きたくなってきたなあ。
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