朝青龍が通っていた学校、明徳義塾は、国際ナントカコースというのがあり、それは本校のある須崎市の隣、土佐市にあります。その国際〜〜コースのすぐ近くに、青龍寺(しょうりゅうじ)はあります。
朝青龍の四股名はここから来ています。
青龍寺のあるところは、土佐市宇佐です。地元の人は「USAに住みゆうがで」と、ベタなダジャレを楽しんでます。私も県外の人にはたまに、頬を赤らめながら、「高知にもUSAがあります。」と勇気を出して言ったみたりします。
さて、ここは、弘法大師が開祖だそうです。唐で学んだ弘法大師が帰国の際に日本に向けて投げた独鈷(とこ)が帰国してここで見つかり、唐で修行した青龍寺と同じ名前のこの寺を建立した。と伝えられています。
↑文字通り青龍から水が出てます。
↓小さな滝があります。行場のようです。
↓山門が見えて来ました。
山門から更に登りきったところに本堂や大師堂がありました。
周りを見回すと、登って来た階段の脇に小径がありましたので、
下りはその小径を通ってみたくなりました。
坂道を下りていると、とにかくお地蔵さんが多い。
しかも、中には立て札が置いてるお地蔵さんが。
更に下りて行くと、小径が分かれています。
片方は明らかに下りていますが、もう一方は道も少し険しく、なにやら、別方向へ続いています。
こんなときって、「別方向」が気になりますよね。
すると、そんな私の好奇心を察したかのように、どこから表れたのか一人の男性が突然声を掛けて来ました。
その男の人は、青龍寺にとっても詳しくって、
1)この先には別の祠があり、お願いごとを石に書いて、そこでお参りしてから石を裏向けて置くと良いらしいこと。
2)青龍寺には全部で88のお地蔵さんがあり、それぞれのお地蔵さんには札所の名前と番号がある。時間のない方や、お年寄りや体の不自由なかたはそれを全て回って高野山へ行くと、88カ所全て回ったのと同様のご利益があると伝えられていること。
3)色んなこと
を教えてくれ、風のように立ち去って行きました。
どうやら、青龍寺の住職ではないけれど、縁のあるお坊さんのようでした。
1)の祠まで歩いて行くと、たしかに、丸っこい、なにやら書いている石がごろごろありました。すごくひっそりしていて、地元の人しか知らないっぽかったです。
けれど、小径はまだまだ続きます。
2)の立て札のお地蔵さんがずっと先まであるのをみるともうちょっと先まで行ってみたくなりました。
今度は「奥の院→」みたいな看板がありました。
え、この先に、弘法大師が自ら刻んだと言われる本尊の波切不動明王を納めている奥の院があるのか。
この先600mって書いてる。
導かれるままに行きました。
登りました
登りました
登りました
セーターも汗ばんでます。靴はローファーですが、枯れ葉滑る道無き道を登り、出て来たところは・・・
スカイライン。つまり、自動車道。あれ?
よく見ると、道の向こう側に山の案内図。
そして「奥の院→」の道標が!
道路も横切り、さらに登ると、見えて来ました。
手前10mくらいのところに靴箱があり、裸足になるよう書かれています。
靴、脱ぎました。靴下、脱ぎました。
ありましたよ。こじんまりと。奥の院の祠が。
会いたかった。
軽い気持ちで出かけたのに、ちょっとした登山になりました。
行きは、最後の方ではもう何かに巻き込まれてしまったような気分になってしまってましたが、
帰りは、なんとも清々しい、いい気分でした。
ちなみに、奥の院のところで、出会ったおじさんが、
「あんたら下から登ったが?ははは。皆、上の駐車場に車とめゆうで。」
だってさ。
いいのさっ。歩いて登って楽しかったのさっ。
2 件のコメント:
あけましておめでとうございます。四国八十八箇所、これを楽しみにしてました。僕は西国巡礼を始めましたが、比較できてうれしいです。最近は如来や菩薩等の仏の種類の違いや意味が分かってきて楽しくなってきました。
四国もやはり札所というのですね。これは、「願い札」を柱に打ち付けていることに由来する寺の別の言い方です。
四国八十八箇所にも御詠歌があるようですね。西国は花山法王の御詠歌ですが、四国は誰が詠まれた御詠歌なのでしょう?
紀州の語り部さんの西国巡礼とは比較にならないくらい行き当たりばったりのレポートですので、そこんとこよろしく。
八十八箇所のご詠歌って作者は誰なんでしょうね。一人なのかなあ。誰でもない人の歌かも。ご詠歌について今まで何にもきいたことがないです。不思議ですね。
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