2008/10/01

恐怖の先生

今年の3月、高知市の教職員の異動が発表されたとき、

ワタクシは、娘と息子と共に万歳三唱しました。



私たちにとって鬼門となっていた、「恐怖の先生」が、とうとう異動で他校へ転任されることになったからです。泣くほど嬉しかった。



あれは、ひとみちゃんが小学校に入学して、一年生として小学校生活を始めた頃のことでした。

担任の先生がその女性教師でした。



ひとみちゃんが一年生でその先生にあたったお陰で、ずぼらな私も小学生の親たる者の心得を習得しました。



「学校には頼るべからず」



まず、よく電話が掛かってきました。



「ひとみちゃんの鉛筆が削れていませんでした」

「名札を忘れていました」

「消しゴムを忘れていました」

「給食のときにスプーンを落とします」



うんたらかんたら。

私にとってはそれは、「しょーもないこと」でしたが、先生にとってはそうではなかってのですね。きっと。



そんな電話が掛かって来たときに、私の反応が鈍かったのが気に入らなかったんだと思います。

子どもは学校で嫌がらせをよくされていたみたいです。



誰に?

先生に。



そんな事をなぜか子どもってすぐに言わないんですよね。

何ヶ月も経ってから、または、何年も経ってから「あのときこんなこともあったよ。」と言ったりするのです。

ぞぞぞと恐怖を感じます。子どもが人質みたいな気分です。



例えば、図画の時間に描いている最中の絵を見ながら

「なにーこの絵?」

といって、その絵を高々とあげて皆に見せ、

「へたやねー」

とか。



先生が教室を歩きながらドリルの回答を読み上げ、子ども達が丸つけを各自しているとき、

ひとみちゃんは花丸を一つずつつけていたんですね。

そこを通りがかった先生が

「何それ、きたない!」

だって。



ちなみに、そんな仕打ちを受けた子はひとみちゃんだけではありませんよ。



私も、小学校に入って最初の担任がこれなんで、「小学校って???」

と、この先のことを考えるとノイローゼになりそうでした。



ある日、電話を掛けて来た先生にたまりかねて



「私、小学校一年生の時の担任に深く心を傷つけられたことがあるので、

(↑ほんとの話です)

今も、本当はあまり、先生と電話でお話ししたくないんです。

よほどでない限り、うちには電話してこないで下さい。」



と言いました。以来電話は掛かってきませんでした。

が、子どもへのイビリはなくなったわけではなかったようですね。



教育大学を出ている情報筋に電話して、相談して出した結論が

「先生から一切いやみを言われたり、電話が掛かってこないように、学校の準備は家で完璧にする」

ことにしました。



縄跳びが苦手と聞けば、とっぷり日が暮れてもできるようになるまで一緒に練習しました。

毎晩、毎朝ランドセルをひっくり返してチェック。忘れ物、鉛筆の状態、ちり紙の残量

お便りの返信などの提出物は必ず翌日提出。

普通のお母さんならそのくらい普段からしてたのかもしれませんが、

B型でズボラな私にしては人生返上くらい、がんばりましたよ。



そんなひとみちゃんは現在6年生。

2年生以降はなぜか、最高にいい先生にばかり当たりました。地獄のあとの極楽ですよ。



しかし悪夢は終わっていなかったのです。



ポチャオ君が2年生のとき、彼女はまたまたわが子のクラスを担任することになったのです。



ワタクシ、再び臨戦態勢です。

毎朝毎晩ランドセルをひっくり返してオールチェックの日々が再度始まりました。



お陰でポチャオ君はひとみちゃんにくらべると、イビリもまだましでした。



が、ようやく一学期を終えようとしているときに、やってしまいました。



先生の大切にしている、ガラスの置物風文鎮を割ってしまったのです。



それは、先生も気に入っている物だったらしく、相当怒鳴られ怒られたそうです。

泣いてしまったそうです。



あげくの果てに手で拾って片付けることを命じられ、彼は泣きながらガラスの破片を手で拾って片付けたそうです。(こわー)



それも、ひとみちゃんが後日、ポチャオ君のクラスメートに偶然聞いて、ひとみちゃんが彼女の担任の先生(ポチャオ君の1年生のときの担任)に話して、期末の個人懇談のときに私はひとみちゃんの担任の先生から聞き、帰宅後、二人から詳細を聞いたわけです。



小学生に素手でガラスの破片を掃除させるのはどうか。



と思ったけれど、とりあえずここは割ったことを詫びておこうと、連絡帳にその旨謝罪しておいたところ、返信は「読みました」の一言だけ。

相当怒っとるな。2学期からが恐怖やな。



予感的中。算数の時間にプリントをして、早々に提出すると、

「いっぱい間違ってるくせに」を連呼されたり、

「あなたは計算カードがクラスで最低や」と毎日毎日言われ、

当時の彼はすっかり算数苦手意識が植え付けられてしまいました。



いつも計算カードの宿題の時、

「僕、算数苦手やから」と本人も口癖のように言ってました。



(そのあと、3年生になってから、とっても素晴らしい先生が担任になり、今は彼は算数が一番得意です。)



まあ、クラスメートに比べるとましな方だったかも。

ある少年は算数の問題が解けずに、ほっぺたに紅葉ができるクラスのビンタを食らったそうです。

その子が受けたビンタは一回や二回ではなかったようです。



また、ある子は図画の時間に絵を描いていて、上手に塗れずにいたら、描き直しを指示されました。

2枚目を描きつつも、一枚目も捨て難いと横に置いていたんですね。

すると、先生がやって来て

「未練がましい」と一枚目を本人の前でクシャクシャクシャ!と丸めて、ぎゅうううとゴミ箱に押し込んでしまったそうです。

こわ。



ちなみにポチャオ君もこの先生以外はすべていい先生にお世話になってます。



あの先生は何だったんだろう。

とにかくもう、あの先生に当たらないとおもうと、まじで涙がでるほどうれしいんです。



ただ、あの先生のお陰で、私も子ども達もかなり強くなりました。





2 件のコメント:

justitia さんのコメント...

この人、先生である以前に人間的に問題がありますね。

こんな人が教師やっているなんて恐ろしい限りです。



ちなみに、うちの家内がこんな目にあったら

その先生のこと、ただじゃおかないでしょうね。

家内は怒ったら怖いですよ。

一度、対決させてみたいです。

「ゴジラ VS. キングギドラ」並の名勝負でしょうね。

tiotio さんのコメント...

子どもは人質でした。

ほんとうに怖かったんです。

上に挙げたのはほんの一例です。

先生は大人の前ではそんなそぶりは見せず、子どもの前ではヒステリックで、当たり散らすところがあったようなので、子どもが学校にいる間に今度は何をされるか、ほんとに怖かったですよ。学校に言ってももみ消されて、子どもがいびられるだけだと思い、教育委員会に言おうとしたことはあります。結局行き違いがあり、その時は伝えられませんでしたが。あとで、あの時言ってたらどうなってただろうと考えると底知れぬ恐怖が襲って来てもう、そんな勇気はでませんでした。