先日、ポチャオ君の参観日でした。
私は彼の授業態度を参観するべく早退しました。
算数の授業はなかなか楽しそうに終了しました。
帰宅後、まだ4時前でしたので、急いで近くの小児科内科へポチャオ君を連れて行きました。
6年生のうちに「二種混合の予防接種」というやつを受けておかねばならないもので。
いつもそういう予防接種のとき、そのうちそのうち・・と、
気がついたら2月頃になってしまい、インフルエンザシーズンに。
そんなときに病院なんか行けるわけないし。
というわけで結局年度末ぎりぎりになってしまうわたし。
今回こそ、早急に済ませておこう!と決めておりました。
病院で、ついでに彼の血液型もみてもらいました。
結果は「AB型」でした。
おお〜
私の実家の家族は全員B型
先輩はA型、ひとみちゃんはB型
ちなみに先輩の父親はA型で母親はO型
tiotio家にとっては初のAB型です。
どうりで今まで何考えてるかさっぱりわからんかったわけか。
なんかすごく納得できました。
今日のtiotio家の最大のニュースはポチャオ君の血液型が判明したことだな。
うんうん。
などと思いながら、私は夕方予定してた打ち合わせに向かいました。
甘かった。最大のニュースはまだこの後に控えていました。
打ち合わせの途中でひとみちゃんから電話が。
「おかあさん!!!ポチャオ君が骨折した!!!」
「な、な、なに〜!!!すぐ帰るから!!」
と、その場を辞去して家路を急ぎました。
ふと、ところでどこを骨折したんだろう?何してて骨折したんだろう?
ま、家に帰り、様子をみると確かに骨折してました。
本来ならまっすぐのはずの左腕の肘と手首の丁度中間あたりが
なんだか反って曲がっている・・・
い、痛そ・・・
ジャッキーチェンの飛び蹴りを真似て練習していたらしい。
着地に失敗したのね、なるほどね〜
とにかく病院へ行き、なんだかんだして石膏を巻いたりして・・・
夏本番を前に、プールにも入れない彼の骨折生活が始まってしまいました。
ちなみにこの日は彼の誕生日でした。
2010/06/27
2010/06/23
武市半平太 最期の短刀と邸跡
高知県立歴史民俗資料館で6月24日までの企画展に
滑り込みセーフで行ってきました。
土佐勤王党盟主 武市半平太の手紙-拝啓おとみ殿-
手紙の展示なんて・・・と思って、最初あまり興味をそそられませんでした。
けれども、行った人が「切腹の時に使った短刀が展示されている」と興奮して話していたのと、
最近大河ドラマ「龍馬伝」でおとみさんとのやりとりにじぃ〜んとさせられているので、
先日滑り込みで行ってきました。
展示されている手紙には、素直な彼の心情が綴られていて、
人間らしい半平太の一面を感じる事ができました。
そしてありました。短刀。
なんだか不思議でした。
半平太の命を絶った短刀が、展示場で輝いているという違和感。
短刀の無常な運命に不思議な感じがしました。
半平太の生い立ちや半平太亡き後のおとみさんの生涯を展示とともに知る事ができました。
その中で無性に気になったのが「武市半平太邸跡」
既に生家には行ったことが(門まで)あったのですが、
道場を兼ねた邸を高知市内に構えていた半平太のその邸跡にどうしても行きたくなって、
帰りに遠回りして行ってみました。

高知市菜園場(さえんば)の横堀公園というところにあります。
はりまや橋からも歩いて行ける距離です。
高知に来られた際には、足をのばしてみてはいかがでしょう。
生家はマイカーがないとムリかな。いやあっても、かなり下調べしないと・・・
というところにありますが、
コチラは比較的お手軽に行けます。
歴史民俗資料館について・・・
実は、高知県立歴史民俗資料館は、知る人ぞ知る、県内屈指の資料館なのです。
立地も辺鄙なところにあるのですが、実はそこは長宗我部家の本拠地岡豊城跡にあります。
中もかなり見応えあります。
これから高知に行こうかな。という人には超おすすめスポットです。
今までは地味なイメージの館でしたが、
昨今の歴史ブームで、見慣れぬファッションの歴女たちも来られるようになったそうです。
中の長宗我部ルームは見応えアリです。
土佐勤王党盟主 武市半平太の手紙-拝啓おとみ殿-
手紙の展示なんて・・・と思って、最初あまり興味をそそられませんでした。
けれども、行った人が「切腹の時に使った短刀が展示されている」と興奮して話していたのと、
最近大河ドラマ「龍馬伝」でおとみさんとのやりとりにじぃ〜んとさせられているので、
先日滑り込みで行ってきました。
展示されている手紙には、素直な彼の心情が綴られていて、
人間らしい半平太の一面を感じる事ができました。
そしてありました。短刀。
なんだか不思議でした。
半平太の命を絶った短刀が、展示場で輝いているという違和感。
短刀の無常な運命に不思議な感じがしました。
半平太の生い立ちや半平太亡き後のおとみさんの生涯を展示とともに知る事ができました。
その中で無性に気になったのが「武市半平太邸跡」
既に生家には行ったことが(門まで)あったのですが、
道場を兼ねた邸を高知市内に構えていた半平太のその邸跡にどうしても行きたくなって、
帰りに遠回りして行ってみました。

高知市菜園場(さえんば)の横堀公園というところにあります。
はりまや橋からも歩いて行ける距離です。
高知に来られた際には、足をのばしてみてはいかがでしょう。
生家はマイカーがないとムリかな。いやあっても、かなり下調べしないと・・・
というところにありますが、
コチラは比較的お手軽に行けます。
歴史民俗資料館について・・・
実は、高知県立歴史民俗資料館は、知る人ぞ知る、県内屈指の資料館なのです。
立地も辺鄙なところにあるのですが、実はそこは長宗我部家の本拠地岡豊城跡にあります。
中もかなり見応えあります。
これから高知に行こうかな。という人には超おすすめスポットです。
今までは地味なイメージの館でしたが、
昨今の歴史ブームで、見慣れぬファッションの歴女たちも来られるようになったそうです。
中の長宗我部ルームは見応えアリです。
2010/06/14
直島
香川県の直島は、ベネッセが何年か前から本格的にすすめているアートプロジェクトで有名です。
それはどんどん発展して今年は7月19日から瀬戸内国際芸術祭2010が開催されます。
それが始まっちゃうと込むかも・・・というわけで昨日チラッと行ってきました。
兵庫県西宮市に住んでいる友人と岡山県の宇野港で待ち合わせることにしました。
行く前にかなり綿密に計画して、少しも狂いがないようにタイムスケジュールを立てました。
既に何回か行ってる「通」の友達のアドバイスも参考にしつつ。
うん、完璧かつ奇抜な計画です。私ってすごい!
計画の段階で既に悦に入ってしまった。
しかーし、西宮から宇野港(JR宇野駅)まで来ようと思ったら乗り継ぎも多いし、ま、そういうことあるよね。
手刀を切りながら遅刻を平謝りしながら現れた友人。
出だしで、「ま、いっか。とにかく地中美術館と家プロジェクトの南寺だけ行けたら今日は合格としよう。」
という方向性に一気に方向転換し、気楽に直島に到着しました。はははは〜
「地中美術館をはずしたら、何のために行ったんかわからんようになってまうから、ここは絶対!」
という「通」のお達しに従ってまずはその地中美術館に行きました。
入館料2000円。
ん?高くね?
高知県立美術館は特別展は企画によりますが、通常350円(18才以下無料)です。
ま、15才以下無料なので同行のポチャオ君はタダ。許しましょう。
約1時間半後に出てきたときは、2000円でも安いかも。と思えるくらいの満足感がありました。
ほんとに、すごい。
美術館って、展示のイメージでしたが、ここは、「体験する」に近い感覚でした。
安藤忠雄さんの建築もその発想と完璧な計算に感心しながら歩き進むのですが、
何と言ってもジェイムズ・タレルさんの光の効果を存分の利用した色んな部屋がすごかったです。
ほんとに。
絵を展示してる部屋が一つだけあります。
気になったのは、そのクロード・モネの原画が間接照明的とはいえ、自然光で展示され続けているということです。いくらエアタイトのケースに入っているとはいえ、自然光って・・・大丈夫なんだろうか。
スタッフは大抵みなさん英語もOKのようでした。流石は外国人の観光客も後を絶たない直島ですね。
そのスタッフのみなさん、白を基調とした上下ウェアを着ています。
普通、美術館のスタッフって黒っぽい服ですよね。
その白い装束が、建物の雰囲気にピッタリなんですが・・・
なんだか・・・mental hospital に自分が来てしまったような、そんな雰囲気がなくもなかったです。
館から出てからそれを先輩と友人に言ったら相当笑ってました。
まあ、何はともあれ、2000円は高くない。いや、もう一回行きたい。
さ、帰りのフェリーの時間もあるので次の目的地、本村エリアの家プロジェクトへ急がねば。
ここの目的は「南寺」と「はいしゃ」です。
他にもいくつか行きましたが、これから直島に行かれる皆さん!「南寺」ははずせません!!!!
ここもジェームズ・タレルさんと安藤忠雄さんの作品です。
例の如く、光の視覚効果を体験する内容になっています。
ほんとに不思議体験でした。
ここはですね、人数制限があり、15分間隔で入館します。ですので、入館希望者が集中した場合は整理券が先に必要になりますので。
ちなみに「通」の友人は設計士でもありますが、一番楽しみにしていた南寺を見られず大層悔しい思いをしたことがあるそうです。
「はいしゃ」は遊び心満載で、ポップでとっても楽しいお家です。大竹伸郎さんというアーティストの作品です。一発でファンになっちゃいました。
随所に草間彌生さんのドット柄のカボチャがあり、きっと細かく探索したらもっとエキサイティングな島だと思います。
またね、島の人が素晴らしいんです。
私が家プロジェクトの通しチケットを買おうと思って、販売所のマップを片手に立ち尽くしてたら、
「ん?家プロジェクト?」と言って、おじさんが歩いて販売所へ連れて行ってくれて、「3:30から南寺が始まるからまずそれ行った方がいいよ。連れて行ってあげよ。」といって、行きがけにある色んなおうちや町並みも解説しながら南寺へいざなってくれました。更に、3:30まで南寺に入るのを待つ数分の間にも、「家プロジェクトは4:30までやから、次はここ行ってあそこ行ってそれからこう行ったら良いと思う。」などとアドバイスしてくれました。
「あの、ボランティアガイドの方ですか?」と聞くと「いやいや、近所のもんよ」とさも当たり前の事をした風にじゃあねってさらっと立ち去って行きました。
島の人にも浸透してますね。
すばらしい。
15才になる前にひとみちゃんも連れてきてあげたいわ。
それはどんどん発展して今年は7月19日から瀬戸内国際芸術祭2010が開催されます。
それが始まっちゃうと込むかも・・・というわけで昨日チラッと行ってきました。
兵庫県西宮市に住んでいる友人と岡山県の宇野港で待ち合わせることにしました。
行く前にかなり綿密に計画して、少しも狂いがないようにタイムスケジュールを立てました。
既に何回か行ってる「通」の友達のアドバイスも参考にしつつ。
うん、完璧かつ奇抜な計画です。私ってすごい!
計画の段階で既に悦に入ってしまった。
しかーし、西宮から宇野港(JR宇野駅)まで来ようと思ったら乗り継ぎも多いし、ま、そういうことあるよね。
手刀を切りながら遅刻を平謝りしながら現れた友人。
出だしで、「ま、いっか。とにかく地中美術館と家プロジェクトの南寺だけ行けたら今日は合格としよう。」
という方向性に一気に方向転換し、気楽に直島に到着しました。はははは〜
「地中美術館をはずしたら、何のために行ったんかわからんようになってまうから、ここは絶対!」
という「通」のお達しに従ってまずはその地中美術館に行きました。
入館料2000円。
ん?高くね?
高知県立美術館は特別展は企画によりますが、通常350円(18才以下無料)です。
ま、15才以下無料なので同行のポチャオ君はタダ。許しましょう。
約1時間半後に出てきたときは、2000円でも安いかも。と思えるくらいの満足感がありました。
ほんとに、すごい。
美術館って、展示のイメージでしたが、ここは、「体験する」に近い感覚でした。
安藤忠雄さんの建築もその発想と完璧な計算に感心しながら歩き進むのですが、
何と言ってもジェイムズ・タレルさんの光の効果を存分の利用した色んな部屋がすごかったです。
ほんとに。
絵を展示してる部屋が一つだけあります。
気になったのは、そのクロード・モネの原画が間接照明的とはいえ、自然光で展示され続けているということです。いくらエアタイトのケースに入っているとはいえ、自然光って・・・大丈夫なんだろうか。
スタッフは大抵みなさん英語もOKのようでした。流石は外国人の観光客も後を絶たない直島ですね。
そのスタッフのみなさん、白を基調とした上下ウェアを着ています。
普通、美術館のスタッフって黒っぽい服ですよね。
その白い装束が、建物の雰囲気にピッタリなんですが・・・
なんだか・・・mental hospital に自分が来てしまったような、そんな雰囲気がなくもなかったです。
館から出てからそれを先輩と友人に言ったら相当笑ってました。
まあ、何はともあれ、2000円は高くない。いや、もう一回行きたい。
さ、帰りのフェリーの時間もあるので次の目的地、本村エリアの家プロジェクトへ急がねば。
ここの目的は「南寺」と「はいしゃ」です。
他にもいくつか行きましたが、これから直島に行かれる皆さん!「南寺」ははずせません!!!!
ここもジェームズ・タレルさんと安藤忠雄さんの作品です。
例の如く、光の視覚効果を体験する内容になっています。
ほんとに不思議体験でした。
ここはですね、人数制限があり、15分間隔で入館します。ですので、入館希望者が集中した場合は整理券が先に必要になりますので。
ちなみに「通」の友人は設計士でもありますが、一番楽しみにしていた南寺を見られず大層悔しい思いをしたことがあるそうです。
「はいしゃ」は遊び心満載で、ポップでとっても楽しいお家です。大竹伸郎さんというアーティストの作品です。一発でファンになっちゃいました。
随所に草間彌生さんのドット柄のカボチャがあり、きっと細かく探索したらもっとエキサイティングな島だと思います。
またね、島の人が素晴らしいんです。
私が家プロジェクトの通しチケットを買おうと思って、販売所のマップを片手に立ち尽くしてたら、
「ん?家プロジェクト?」と言って、おじさんが歩いて販売所へ連れて行ってくれて、「3:30から南寺が始まるからまずそれ行った方がいいよ。連れて行ってあげよ。」といって、行きがけにある色んなおうちや町並みも解説しながら南寺へいざなってくれました。更に、3:30まで南寺に入るのを待つ数分の間にも、「家プロジェクトは4:30までやから、次はここ行ってあそこ行ってそれからこう行ったら良いと思う。」などとアドバイスしてくれました。
「あの、ボランティアガイドの方ですか?」と聞くと「いやいや、近所のもんよ」とさも当たり前の事をした風にじゃあねってさらっと立ち去って行きました。
島の人にも浸透してますね。
すばらしい。
15才になる前にひとみちゃんも連れてきてあげたいわ。
2010/06/09
ゴルゴ13
最近、ゴルゴ13にはまっているポチャオ君
せっせとブックオフ通いで買い集めているようです。
笑っちゃったのが、この間、まず1巻を買ってニンニンしながら読んでいたところ、
半分くらい読んだところで、「あれ・・・変やと思った。これ中身6巻や・・・」
とつぶやいてたことです。
たまにブックオフで買うとそういうことがあるらしいです。
カバーは1巻、中身は6巻。
ぷぷぷぷぷーーー。
後日、改めて1巻をゲットしてましたが、「ぼく1巻のカバー2枚もっちゅう。」
とつぶやいてました。
でも、あれって、けっこうアダルティーな内容のはず。
きっと、小学生にはちと刺激的なシーンも・・・!
「ポチャオ君、それってエッチなシーンもあるがやない?」
と、本を取りあげて中身をパラパラみてみたら・・・・
あ、ありました。うれしはずかしなページが・・・
横目で「あんた、これ、もう見た?」
にんまりしながら「みた」
だってーーーー。
「友達に貸したらあかんで」と言い聞かせておきました。
せっせとブックオフ通いで買い集めているようです。
笑っちゃったのが、この間、まず1巻を買ってニンニンしながら読んでいたところ、
半分くらい読んだところで、「あれ・・・変やと思った。これ中身6巻や・・・」
とつぶやいてたことです。
たまにブックオフで買うとそういうことがあるらしいです。
カバーは1巻、中身は6巻。
ぷぷぷぷぷーーー。
後日、改めて1巻をゲットしてましたが、「ぼく1巻のカバー2枚もっちゅう。」
とつぶやいてました。
でも、あれって、けっこうアダルティーな内容のはず。
きっと、小学生にはちと刺激的なシーンも・・・!
「ポチャオ君、それってエッチなシーンもあるがやない?」
と、本を取りあげて中身をパラパラみてみたら・・・・
あ、ありました。うれしはずかしなページが・・・
横目で「あんた、これ、もう見た?」
にんまりしながら「みた」
だってーーーー。
「友達に貸したらあかんで」と言い聞かせておきました。
2010/05/29
反省
その昔、ある女性経営者の方が教えて下さったエピソード。
その女性経営者の方がある方と懇親会か何かでお話ししているときに
その人が少し考えてから質問してきました。
「もしあなたの会社の社員の人が給湯室でコップを落として割ってしまったらあなたはその社員の人になんと声を掛けますか?」
彼女は「大丈夫?けがはしなかった?と声を掛けます。」と答えました。
そんな時は「お家で何かあったんじゃない?大丈夫?」と聞いてあげるようにアドバイスを受けたそうです。
その女性経営者の方はドキッとして自分の未熟さを恥じたそうです。
なるほど。と私も唸ったのを覚えています。
その時は、「深いなあ。」と感心していたのに・・・
今日、とっても反省する出来事がありました。
私がここ何年か大変お世話になっている大先輩の女性がいます。
大大大尊敬している方です。
現在60代前半ですが、最近ちょっと意見に固執することが多かったり、意固地なところが少し気になっていました。
今日もある資料の仕上げの段階であと印刷に掛けるだけというところで、
「この原稿、やっぱりこれではだめ」と言い出して、周りがなんと説明しても「そんな問題ではない」
と、話し合いすら拒絶するムード・・・。
前の彼女だったら、相手の意見も良く聞いて冷静に判断してお互いに納得できるゴールを導き出す人だったのに
また、こんなことで流れを止めて・・・
とちょっと私もうんざりしてしまいました。
まあ、彼女の意見を取り入れて原稿執筆者の方にも連絡がとれてなんとかうまくまとまりましたが・・・
そんなことがあったので午前中におわる作業が午後にもずれこんだりして。
やっと作業が終わったので、遅めのランチをみんなでとって解散しました。
帰り道途中まで彼女と世間話などしながら歩いていると別れ際に
「実はね、宿毛の義理の弟が体調が悪くて高知市の病院に来てるの。
それがね、すごく悪くて、いつどうなっても不思議じゃない状態がこのところ続いててね。
だから、今主人と一緒に毎日病院に詰めててね。ホスピスの病院にいるの」
彼女の義理の弟とは、ご主人の弟さんのことです。
彼女とご主人は学生結婚でした。彼らが結婚した時、精神的に不安定だった義弟さんを、県外の自分達が借りている住まいに引き取り、
一生懸命励まし叱りしながら、大学に行かせたという、ただの義理の兄弟以上の存在、親子にも近いような存在でした。
弟は大学卒業後、就職し、結婚し、ことあるごとに「今のおれがいるのは義姉さんのおかげ」といってくれていたそうです。
そんな話を前に聞いていた私は衝撃を受けました。
彼女のことだからきっと毎日病院で涙をこらえて看病を親身に続けているに違いない。
自分の食事も後回しに義弟の一家の世話をしているに違いない。
「癌なんですか?おとうとさんって、あのおとうとさんですよね。」
「そうなの。病院でもね、毎日あの頃の思い出話を涙涙でしてしまうのよ。」
「そうだったんですか」
「うん、誰にもまだ言ってないけど、私もそういうわけでちょっと先の予定が読めんからtiotioさんには伝えとくね。」
彼女と別れた後、すごく落ち込みました。
彼女の意固地なところは、年のせいかも。なんて思い込んでいた自分が恥ずかしくてたまりませんでした。
きっと、私のそういう思いが彼女に伝わってたのでしょう。
だから、彼女は私にそんな弟さんの状況を教えてくれたのでしょう。
落ち込んでばかりもいられませんが・・・落ち込みました。
その女性経営者の方がある方と懇親会か何かでお話ししているときに
その人が少し考えてから質問してきました。
「もしあなたの会社の社員の人が給湯室でコップを落として割ってしまったらあなたはその社員の人になんと声を掛けますか?」
彼女は「大丈夫?けがはしなかった?と声を掛けます。」と答えました。
そんな時は「お家で何かあったんじゃない?大丈夫?」と聞いてあげるようにアドバイスを受けたそうです。
その女性経営者の方はドキッとして自分の未熟さを恥じたそうです。
なるほど。と私も唸ったのを覚えています。
その時は、「深いなあ。」と感心していたのに・・・
今日、とっても反省する出来事がありました。
私がここ何年か大変お世話になっている大先輩の女性がいます。
大大大尊敬している方です。
現在60代前半ですが、最近ちょっと意見に固執することが多かったり、意固地なところが少し気になっていました。
今日もある資料の仕上げの段階であと印刷に掛けるだけというところで、
「この原稿、やっぱりこれではだめ」と言い出して、周りがなんと説明しても「そんな問題ではない」
と、話し合いすら拒絶するムード・・・。
前の彼女だったら、相手の意見も良く聞いて冷静に判断してお互いに納得できるゴールを導き出す人だったのに
また、こんなことで流れを止めて・・・
とちょっと私もうんざりしてしまいました。
まあ、彼女の意見を取り入れて原稿執筆者の方にも連絡がとれてなんとかうまくまとまりましたが・・・
そんなことがあったので午前中におわる作業が午後にもずれこんだりして。
やっと作業が終わったので、遅めのランチをみんなでとって解散しました。
帰り道途中まで彼女と世間話などしながら歩いていると別れ際に
「実はね、宿毛の義理の弟が体調が悪くて高知市の病院に来てるの。
それがね、すごく悪くて、いつどうなっても不思議じゃない状態がこのところ続いててね。
だから、今主人と一緒に毎日病院に詰めててね。ホスピスの病院にいるの」
彼女の義理の弟とは、ご主人の弟さんのことです。
彼女とご主人は学生結婚でした。彼らが結婚した時、精神的に不安定だった義弟さんを、県外の自分達が借りている住まいに引き取り、
一生懸命励まし叱りしながら、大学に行かせたという、ただの義理の兄弟以上の存在、親子にも近いような存在でした。
弟は大学卒業後、就職し、結婚し、ことあるごとに「今のおれがいるのは義姉さんのおかげ」といってくれていたそうです。
そんな話を前に聞いていた私は衝撃を受けました。
彼女のことだからきっと毎日病院で涙をこらえて看病を親身に続けているに違いない。
自分の食事も後回しに義弟の一家の世話をしているに違いない。
「癌なんですか?おとうとさんって、あのおとうとさんですよね。」
「そうなの。病院でもね、毎日あの頃の思い出話を涙涙でしてしまうのよ。」
「そうだったんですか」
「うん、誰にもまだ言ってないけど、私もそういうわけでちょっと先の予定が読めんからtiotioさんには伝えとくね。」
彼女と別れた後、すごく落ち込みました。
彼女の意固地なところは、年のせいかも。なんて思い込んでいた自分が恥ずかしくてたまりませんでした。
きっと、私のそういう思いが彼女に伝わってたのでしょう。
だから、彼女は私にそんな弟さんの状況を教えてくれたのでしょう。
落ち込んでばかりもいられませんが・・・落ち込みました。
2010/05/15
生きるために必要なこと
カナダのケベック州は、シルク・ド・ソレイユやモントリオール映画祭でご存知のように、芸術に力を入れていることで有名なようです。
そのケベック州の優れた映画を一挙に上映するイベントがあり、
今日、行ってきました。
50年位前のカナダが舞台です。

2008年のアメリカのアカデミー賞外国語映画賞ノミネート作品です。
(ご存知の通り、この年は「おくりびと」が受賞しました。)
イヌイットのチビルは、狩りをしながらバフィン島で妻と幼い娘二人と暮らしています。
ある日、大きな船がカナダ本島からやってきます。
当時結核が流行っており、その船は、検診船とでもいうのでしょうか、
結核に罹患してないかどうかを調べる船なのです。
島の住人全員がその船で検査を受けることになり、チビル一家も出掛けていきました。
船の中では白人達が手際良くイヌイット達に検査の順路を指示しています。
検査が一通り終わったところで、チビルはこう告げられます。
「あなたは結核に罹っています。あなたを船から出すことはできません。家族の方は帰ってもいいです。」
が〜ん。
「僕がいないと狩りをする者がいなくなるから僕は家族と離れる訳にはいかない」
訴えますが、家族は引き離されます。
三ヶ月かけてチビルはケベックの療養所に到着します。
着ていた防寒着は捨てられ、パジャマに着替えることになります。
ぼさぼさだった髪も七三みたいなサラリーマンカットに。
食事は見たことも無いスパゲティとかがでてきます。食べ方も分かりません。
一番のとまどいは、言葉が全く通じないことでした。
彼はイヌイットの言葉しか話せませんが、そこには彼の言葉を理解できる人は一人もいませんでした。
どんなに彼が困っていても、医者も看護婦も患者仲間も、みんな全く理解できないフランス語でまくしたてます。
孤独に我慢できず、彼は逃げ出しますが発見され連れ戻されます。
辛くて辛くて生きるのが嫌になった彼は、食事を摂らなくなってしまいます。
とうとう倒れてしまった彼が目を覚ますと、同じイヌイットの少年が立っていました。
その少年はカキといい、両親を失い、祖母に育てられたが罹患していることがわかり、
二年前に別の療養所に連れてこられたということでした。
チビルの担当の看護婦さんがカキをチビルと同じ療養所に転院させてくれたのでした。
カキは既にある程度のフランス語も話せて、チビルの話し相手だけではなく、通訳としてもチビルを助けてくれました。
両親がいないカキにとってはチビルの狩りの話しは興味深く、また息子のいないチビルにとってもそんなカキが心の支えになりました。
月日は流れ、チビルはとうとう退院の許可が出ます。
「一ヶ月後には島に帰る船に乗れるよ」と主治医から伝えられ、チビルは早速カキのところへやってきます。
「カキ、一緒に退院しよう。君さえ良ければ、僕の子どもにならないか?」
「狩りを教えてくれる?」
「もちろんだ」
「そこはどんなとこ?」
「ここみたいに木が邪魔をしないから、ずーっと遠くまでなんでも見えるんだよ。アザラシだってカリブーだって生きために必要なことは全て揃っている」
カキはチビルの申し出を受け入れました。
チビルは看護婦さんにもそのことを伝えますが
「養子縁組はそう簡単ではないのよ」
「君たち白人はすぐにダメっていう!」
とフランス語とイヌイット語で言い合いになってしまいます。
この看護婦さん、今度はイヌイット出身の牧師を探し出してきてくれます。
その牧師さんの尽力でなんと、カキはチビルの養子になる許可がでます!
けれども実は、カキの病状はかなり悪化していたのです。
この素敵な養子縁組の決定の数日後にカキは容体が急変して、亡くなってしまいます。
カキの葬儀を済ませたあと、チビルは島へ帰る船に乗り、また家族の元に帰っていくのです。
カルチャーギャップをテーマにした映画です。
チビルが妻に「ここは食べ物は沢山あるが、食欲はない。人は沢山いるけれど、話し相手はいない。」
と手紙に書きます。
なんという孤独感でしょう。
カキが来てからは、チビルはみるみる元気になっていきます。
言葉が通じるって大切。
知人でインドネシア語を習っている人がいます。
(ちなみに彼は英語は英検一級の腕前です。すばらしい。)
インドネシア語を習う理由を尋ねた事があります。
「インドネシアから日本にやってきて、インドネシア語の話せる人に合えたらうれしいでしょ、きっと。」
という回答でした。
その心がすばらしい。
そのケベック州の優れた映画を一挙に上映するイベントがあり、
今日、行ってきました。
目当ては「生きるために必要なこと」
50年位前のカナダが舞台です。

2008年のアメリカのアカデミー賞外国語映画賞ノミネート作品です。
(ご存知の通り、この年は「おくりびと」が受賞しました。)
イヌイットのチビルは、狩りをしながらバフィン島で妻と幼い娘二人と暮らしています。
ある日、大きな船がカナダ本島からやってきます。
当時結核が流行っており、その船は、検診船とでもいうのでしょうか、
結核に罹患してないかどうかを調べる船なのです。
島の住人全員がその船で検査を受けることになり、チビル一家も出掛けていきました。
船の中では白人達が手際良くイヌイット達に検査の順路を指示しています。
検査が一通り終わったところで、チビルはこう告げられます。
「あなたは結核に罹っています。あなたを船から出すことはできません。家族の方は帰ってもいいです。」
が〜ん。
「僕がいないと狩りをする者がいなくなるから僕は家族と離れる訳にはいかない」
訴えますが、家族は引き離されます。
三ヶ月かけてチビルはケベックの療養所に到着します。
着ていた防寒着は捨てられ、パジャマに着替えることになります。
ぼさぼさだった髪も七三みたいなサラリーマンカットに。
食事は見たことも無いスパゲティとかがでてきます。食べ方も分かりません。
一番のとまどいは、言葉が全く通じないことでした。
彼はイヌイットの言葉しか話せませんが、そこには彼の言葉を理解できる人は一人もいませんでした。
どんなに彼が困っていても、医者も看護婦も患者仲間も、みんな全く理解できないフランス語でまくしたてます。
孤独に我慢できず、彼は逃げ出しますが発見され連れ戻されます。
辛くて辛くて生きるのが嫌になった彼は、食事を摂らなくなってしまいます。
とうとう倒れてしまった彼が目を覚ますと、同じイヌイットの少年が立っていました。
その少年はカキといい、両親を失い、祖母に育てられたが罹患していることがわかり、
二年前に別の療養所に連れてこられたということでした。
チビルの担当の看護婦さんがカキをチビルと同じ療養所に転院させてくれたのでした。
カキは既にある程度のフランス語も話せて、チビルの話し相手だけではなく、通訳としてもチビルを助けてくれました。
両親がいないカキにとってはチビルの狩りの話しは興味深く、また息子のいないチビルにとってもそんなカキが心の支えになりました。
月日は流れ、チビルはとうとう退院の許可が出ます。
「一ヶ月後には島に帰る船に乗れるよ」と主治医から伝えられ、チビルは早速カキのところへやってきます。
「カキ、一緒に退院しよう。君さえ良ければ、僕の子どもにならないか?」
「狩りを教えてくれる?」
「もちろんだ」
「そこはどんなとこ?」
「ここみたいに木が邪魔をしないから、ずーっと遠くまでなんでも見えるんだよ。アザラシだってカリブーだって生きために必要なことは全て揃っている」
カキはチビルの申し出を受け入れました。
チビルは看護婦さんにもそのことを伝えますが
「養子縁組はそう簡単ではないのよ」
「君たち白人はすぐにダメっていう!」
とフランス語とイヌイット語で言い合いになってしまいます。
この看護婦さん、今度はイヌイット出身の牧師を探し出してきてくれます。
その牧師さんの尽力でなんと、カキはチビルの養子になる許可がでます!
けれども実は、カキの病状はかなり悪化していたのです。
この素敵な養子縁組の決定の数日後にカキは容体が急変して、亡くなってしまいます。
カキの葬儀を済ませたあと、チビルは島へ帰る船に乗り、また家族の元に帰っていくのです。
カルチャーギャップをテーマにした映画です。
チビルが妻に「ここは食べ物は沢山あるが、食欲はない。人は沢山いるけれど、話し相手はいない。」
と手紙に書きます。
なんという孤独感でしょう。
カキが来てからは、チビルはみるみる元気になっていきます。
言葉が通じるって大切。
知人でインドネシア語を習っている人がいます。
(ちなみに彼は英語は英検一級の腕前です。すばらしい。)
インドネシア語を習う理由を尋ねた事があります。
「インドネシアから日本にやってきて、インドネシア語の話せる人に合えたらうれしいでしょ、きっと。」
という回答でした。
その心がすばらしい。
2010/05/07
岡田以蔵の墓
私の墓めぐり
今回は岡田以蔵の墓です。
先日訪れた、板垣退助の墓から車で5分程度のところにありました。
大通りから少し入った所にあります。
お墓が沢山ある小山の中にありました。
最初、山への入口がよくわからなくて、うろうろした後あきらめて出直すことにしました。
そしてUターンして数メートル歩いていたら、立て札を見つけました。
おお!探していた物がこんなところに。
このピンクのリボンが目印です。
この後、道しるべとなってくれます。

お陰さまで辿り着けました。
誰かがきちんと枯れ葉や塵を掃除しているようです。
花も沢山供えられていました。
この辺りは史跡が多いようで地元の研究会の人達が整備しているようです。
現在、大河ドラマ「龍馬伝」で佐藤健くんが好演してますね。
正直、期待以上の人間味あふれる演技に脱帽してます。
彼のお陰で「人斬り以蔵」と呼ばれた岡田以蔵のイメージが少し変わったという人も多いのではないでしょうか。
私も、龍馬伝を見るまでは、岡田以蔵の墓をたずねてみようなんて思いもしなかったでしょう。
実は、この近くへはよく来ます。
こんなところに岡田以蔵が眠っていたなんて本当に意外でした。
そんなことを考えながら山を下りました。
この山はですね、どこにあるかというとですね、
実は、
実は、
実は、
↑沢田マンション裏側
沢田マンションの真裏にあるんです。
わはははは〜
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