2009/11/09

兪華濬 ユ・ファジュン氏の講演

何度も涙が溢れそうになりましたよ。



彼女は、佐賀県有田町を拠点に活動する「玄海人クラブ」の代表をされている方です。



外交官だった父親の仕事の関係で、韓国に生まれながら1歳から7歳までを福岡で過ごしました。



韓国に帰ってからは「日本帰り」を理由に周囲から冷たくされたりしたそうです。



その後、日本の大学で学び、日本でジャーナリストとしてのキャリアも重ねました。けれども日韓のあいだにある溝を埋めることはできないと感じるに至り、欧米諸国へ生活の拠点を移すべく、航空券を手に日本を離れる準備を着々と進めるある日、日本人の友人の薦めで有田焼の町、佐賀県有田市へ2-3日の予定で旅行します。



この旅行で彼女は現地の人から李参平(かつて、この地に焼き物を伝えた韓国人)と有田の人達との関係を知らされます。

この出来事がきっかけで彼女は、好条件で彼女を受け入れる予定だった新しい職場と航空券を捨てて、この地で日韓の架け橋となるべく活動をはじめることになりました。



彼女の父親が死を前に病床で「玄界灘を日韓を隔てる代名詞ではなく、日韓をつなぐ代名詞にしてほしい。日本から韓国を見たり、韓国から日本を見るのではなく、いつも玄界灘をまたいで立っていてほしい。」と彼女に言った言葉を理解した瞬間でした。



JNTO主催の会合で記念講演のスピーカーとしてのお話でした。



彼女いわく、「あのとき9月の初旬、まだ暑い昼日中、汗をかきながら私を見晴らしのいい高台へ歩かせ、李参平の碑を見せ、それでも素直にならない私の腕を掴んで碑の裏側の碑文を読ませたあの人のように、大切な事はきちんと伝えなければいけません。」



感動しました。目が覚めました。







2 件のコメント:

風竿 さんのコメント...

初めまして、佐賀県武雄市に住む風竿です。



うーん、そのお気持ちよく判ります。

彼女の受勲記念祝賀会に出席しました。

そして彼女の高潔な思いに触れて驚いています。



彼女のご縁で訪れました。よろしくお願いしますね。

またきまーす。

tiotio さんのコメント...

風竿さま

こんにちは。コメントありがとうございます。

武雄といえば温泉街ですよね。高校の時修学旅行で泊まりましたよ。いいところですね。それに私、両親が鳥栖市の出身で、佐賀はとってもご縁のあるところです。



風竿さんのブログ、拝見しました!

彼女の講演はすばらしいですね。あのエネルギーと行動力はどこからくるんでしょうか。

有田焼のバックグラウンドを知って、今度から母の有田焼コレクションを見る目もかわりそうです。