2009/11/09

太宰府 梵鐘・戒壇院






福岡市から太宰府市へ行くと、天満宮の手前に「観世音寺」というお寺があります。



ここには国宝の梵鐘があります。



この鐘は、日本最古の釣鐘です。西暦700年頃のものだそうです。



写真は今イチですが、全然「国宝だぜー」ってかんじじゃないんですよ。本当にひっそりと、フツーにあるんです。


















感動しました。



太宰府といえば天満宮人気で、この観世音寺はあまり目立たない存在なのだろうか。



ほんとうに、ひっそりとあります。



同時代の鐘が他にもあるそうですが、ひびが入っていたり、腐食が激しかったりするそうです。

けれども、この鐘は今も現役で大晦日には鐘をついているそうです。



地元の人に、「さぞ大晦日は大勢の方が来られるでしょう。」と訊ねると、



「それがそうでもないんですよ。みんな天満宮に行くからね。」だって。



すげえ!穴場じゃん!!



私が福岡に住んでたら毎年いそいそと行くよ!



古の人もついたその鐘を21世紀の我々もつけるなんて、そんな幸せないよ!







観世音寺は奈良時代は、九州の寺院の中心的立場でした。で、周辺には史跡がたくさんあります。



すぐ脇には「戒壇院」があります。
























私はこの「戒壇院」がめっちゃ気に入りました。



寂びた雰囲気がなんというか・・すばらしいです。



















戒壇とは、僧として守るべき戒律を授けるところで、ここで戒を受けなかったら正式の僧とは認められなかったそうです。



奈良の東大寺・下野(栃木)の薬師寺と並んで奈良時代は三大戒壇と言われたそうです。



すごくいいです。



今は、禅寺として観世音寺からは独立しています。





太宰府。史跡と共存してる町。ローマみたいなところですね。





初もつ鍋 in 博多




福岡に行く機会がありました。



夕食は軽くいただいたのですが、ホテルに戻ってから少し小腹がすいたので、

ラーメンかもつ鍋を食べてやろうとホテルを出て博多駅の周りをうろうろしていると、



ジモティーが集いそうな食堂がありました。

まだまだ昭和のかほりを残したその佇まいに無性に惹かれるものがありました。



もつ鍋を出す店のようです。



心は博多豚骨ラーメンの白湯(バイタン)スープに傾いていましたが、一気に形勢逆転。



10分後には、この鍋↓の前で座っていました。
















もつ鍋。初体験。うふ。



おいしかった〜。



大体作り方と味付けがわかったので、今度家族に食べさせてあげよう。



鍋をセッティングしてくれたおばちゃんの話によると、サラリーマンに大人気の店らしく、平日の方が忙しいらしい。



私の座ったテーブル以外は全員野郎でした。



アルコール類もかなりお安く、大衆割烹らしいメニューがずらり。



サラリーマンの天国なのねきっと。
























大衆割烹 寿久(ひさきゅう)



帰宅してからヤホーで調べたら、かなり老舗の大衆割烹だったようです。

サラリーマンに愛され続けているのね、きっと。

あの雰囲気、好きやわ〜。



兪華濬 ユ・ファジュン氏の講演

何度も涙が溢れそうになりましたよ。



彼女は、佐賀県有田町を拠点に活動する「玄海人クラブ」の代表をされている方です。



外交官だった父親の仕事の関係で、韓国に生まれながら1歳から7歳までを福岡で過ごしました。



韓国に帰ってからは「日本帰り」を理由に周囲から冷たくされたりしたそうです。



その後、日本の大学で学び、日本でジャーナリストとしてのキャリアも重ねました。けれども日韓のあいだにある溝を埋めることはできないと感じるに至り、欧米諸国へ生活の拠点を移すべく、航空券を手に日本を離れる準備を着々と進めるある日、日本人の友人の薦めで有田焼の町、佐賀県有田市へ2-3日の予定で旅行します。



この旅行で彼女は現地の人から李参平(かつて、この地に焼き物を伝えた韓国人)と有田の人達との関係を知らされます。

この出来事がきっかけで彼女は、好条件で彼女を受け入れる予定だった新しい職場と航空券を捨てて、この地で日韓の架け橋となるべく活動をはじめることになりました。



彼女の父親が死を前に病床で「玄界灘を日韓を隔てる代名詞ではなく、日韓をつなぐ代名詞にしてほしい。日本から韓国を見たり、韓国から日本を見るのではなく、いつも玄界灘をまたいで立っていてほしい。」と彼女に言った言葉を理解した瞬間でした。



JNTO主催の会合で記念講演のスピーカーとしてのお話でした。



彼女いわく、「あのとき9月の初旬、まだ暑い昼日中、汗をかきながら私を見晴らしのいい高台へ歩かせ、李参平の碑を見せ、それでも素直にならない私の腕を掴んで碑の裏側の碑文を読ませたあの人のように、大切な事はきちんと伝えなければいけません。」



感動しました。目が覚めました。







2009/11/04

人の名前じゃないのよ〜

ひとみちゃん、二学期の中間テストが10月中頃ありました。



今日、学校から1枚の用紙が配られました。



その用紙には、中間テストの結果をふまえ「保護者が感想を記入する欄」がありました。



私は保護者として「ケアレスミスをなくすのが今後の課題かな。」と記入してひとみちゃんに渡しました。





ひとみちゃん、私の記入欄をじっとみつめています。





そして、 ケアレスミス のところを指して、「これは?」と私に訊ねましたので、



「これは、不注意によるミスのこと」と説明しましたが、彼女はどうも納得してないようなので



「ケアは、注意すること。レスは、それをしないこと。だから不注意によるミスのことをケアレスミスというのよ。」



うん、完璧な説明だ。





「ふーん。人の名前じゃなかったんや。」と彼女。











彼女は「ケアレ・スミスさん」という外国人を想像し、私の文章の意味がわからなかったそうです。









それ、誰?